そんなもん持ってどこに行くんだ

人の笑顔を見て前に好きだった人のことなんかを思い出すと、なんかもう過去の物事なんか全部忘れて生きていけたらなんて考えちゃいますね。

前に見つけたスナフキンの名言集みたいなので、「僕は、世の中のことを全部忘れて暮らせたら、どんなにいいかと思ってるくらいなんだ」というのだけ理解できなかったんです。思い出すと心が暖まるようなことも、なんかもう目の前の人をわけもなくぶん殴りたくなるような嫌なことも、過去の記憶ってそれだけで財産だと思ってたから。

なので、いま高校生とか大学生の頃につけてた携帯サイトとかmixiの日記が消えてしまったのがすごい寂しいし、なぜか猛烈に好きになっちゃったけど何回かリアルして終わりって時に、その人を忘れてしまうのが果てしなく怖かったりもしたんです。

でもやっぱ、呪縛というものはなにをするにもこびりつくもので、なにかをするのに歯止めをかけてくる自分の中の価値観なんかにぶち当たると、「あーこの先は行けないエリアね。オッケー!」とかって回れ右。ブレイクスルーしたい。させて欲しい。


思うに、効率的に実利的に生きるとしたら、記憶なんていくらあってもいいじゃないですか。めちゃくちゃ厳しい先輩についてた時期のことを思うと今も胸がキュッとするけど、もう昔みたいなヘマはしなくなったわけだし、友達に言った一言でなにもかも終わってしまったことを思い出すと、なんかもうどこかで雑な付き合い方はしちゃいけないなって考えるし。

でも、情緒的に生きるとしたらそんなつまらないことはない。笑うことも泣くことも「あーこれ進研ゼミでやったことある」って感覚に襲われて、なんかもうむなしくなったり、恥ずかしくなって目をそむけたり。きっと、なんにだって感動していたい疲れ知らずな人もいますよね。俺がそうだから、きっといると思ってます。


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まあ現実問題、記憶からは逃げられないので上手く付き合っていくしかないんだけど、他人の記憶なんてのは積極的に掘り起こしてみたくなりますね。

あいにく自分の性格上「俺がしゃべるー!俺がしゃべるー!おーれーがー!しゃーべーるー!」という状態に陥りやすいんだけど(ひどい性格だ)、その辺がもうちょっと抑えられて、人のあれこれを面白おかしく引き出せたらきっと楽しいだろうなって思います。

人が死んでしまったら、もうその人が見てきた聞いてきた感じてきた物事はそっと無くなってしまうわけで、まあだからこそ救われることもあるんだけど、俺はそういうのを覗き見して勝手に感想を述べてニヤニヤするような、そんな風なことを親しい人にはやっていきたいですね。されるのもよい。とても。からかわれてえへえへ笑ってたい。

でも、真冬の明け方4時にノンケに告白してそっと立ち去った時に感じた風の冷たさなんか、いったいどうやったら伝わるんですかね。どうやったら思い出せるんですかね。


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腹が減ってるときほど考えごともはかどるし、なんなら今も腹ペコです。

なので、これから晩メシを食ったらいま書いた文章の意味も分からなくなります。

今日は記録できてよかったです。