写真を撮らないこと、その日のことを思い出すこと

「私がいなくなったとしても 誰かに残った思い出は 生き続けるだろうか」
# CAT WALK / チャットモンチー


大学生の頃から、どこかへ旅行に行っても写真をあまり撮らなくなりました。

きっかけは単純に当時使ってた携帯のカメラが壊れて、機種変(って最近言わなくなりましたね)するまで写真を撮れない時期があったことではあるのだけど、なにかをする時に写真を撮らなくてはいけないという呪縛から解放されたような気分になったのを覚えています。携帯を直す気が起きなければ、どこからか手に入れたデジカメも全然使わなかったし。

思えば、デジカメなり携帯なりで気軽に写真が撮れるようになった頃は、なにをするにも写真を撮ることに気を取られ過ぎて、目の前の風景だとか、一緒にいる人のことだとか、その時その時の自分の思考とか、そういうことに気が向かなくなったんでしょうね。カメラを全く使わない期間は結構楽ちんだったなあ。

するとまあ、逆に写真を撮らなすぎて思い出を引っ張り出すのが大変になってしまったので、今は後からその時を思い出す鍵みたいなイメージでちょっとだけ写真を撮ってます。要所要所の写真があれば、だいたいのことは思い出せるしね。


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※いつも遊んでくれる人たちへ
グループラインで写真を共有するとき、自分だけ枚数が少ないのはそういうことです。いつもすんません。

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長い付き合いの友達とかと会った時に、自分が覚えてなかったことを思い出させてくれる瞬間がとても好きです。他の人が自分にとってのアルバムのようになってくれた気がして心が暖まるというか。

なので、自分も過去に楽しいことをシェアした人と再会出来たら、こぞっていろんなことを思い出すようにします。そして、なるべく覚えていなさそうなどうでもいいことから話してみたり、、意外とみんなそういうことの方が覚えてるものだけどね。


そんなことを考えるようになってから、写真を撮らない代わりに、どこかへ行ったり人と遊んだときは、なるべく細かいことまで覚えておくようにしています。なにを食べたとか、どんな話をしたかとか、その時々でどんな風に思ったかとか。

もっとも、ひとり旅とかをしたときは自分以外誰も思い出しようがないから、ちょっと多めに写真を撮ったりはするけど、結局なにか忘れられないようなことは覚えてるし、写真がないと思い出せないようことを残す意味もないかって落ち着いちゃうんだけど。ひとり旅の時は。


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恋人と出かけた旅行も楽しかったことばかりだけど、自分で覚えていることしか思い出せないし、それすらもどんどんと忘れていきます。

そこの意味では、恋人と別れても仲良く出来る人がちょっと羨ましいですね。