27歳になることについて
おれはいま26歳と10か月くらい。
あと2か月で27歳になる。
27歳で命を絶ったロックスターがたくさんいることについて、知識としては知っていたけど、その年齢に近づいてくるとあれこれと考えてしまう。
結論から言うと、まだおれは全く持って死にたくないし、まだまだ生き続けてやりたいことはある。
けれど、ふとした時に死にたい、、とまで行かないけど、近しいロジックが生まれてくるのも事実。
おれがこれから先の人生を思う時、今以上に幸せになれるのかってことが頭をよぎる。
いままで生きてきた中で、新しく得られたものはたくさんある。
気に入ってる服や楽器とかの物、知識や思想、人との出会い、行こうと思えばある程度どこへでも行ける自由、他にもいろいろと。
一方で、それらを失った経験はまだ乏しいから、きっとこれからも何を得ることが出来て、もっともっと生きていることは満たされているのだろうと期待していたんだと思う。
でも、20代半ばになれば、その期待はたぶんそろそろ消えていくなって気づいてしまうんだろうな。
おれの場合はたいそうなことではなく、虫歯の治療を受けてる時にそれに気づいた(笑)
自分の体について臆病なおれは、悪くしてしまった虫歯について「これはもう抜歯ですね」と歯医者さんに言われたときに、「ああ、おれの体はもう衰えはじめたんだな」と思った(おおげさだなあ)。
まあ治すのが怖いって感情が単に膨らんだだけどとは言え、20代にもなればもう背が伸びることはないし、肌もどんどん汚くなるし、体形だって醜くなる。まだまだ大病は患わないとしても、腰が痛いだとか、髪の量が気になるとか、体力が落ちたなんてよくある話だ。
それに、こんなことは単なる健康の問題だけじゃない。
生きていれば家族だとか友達が居なくなってしまうことがあるだろう。気に入ってた店がなくなったり、所属していた人の集まりが疎遠になったり、自分の居場所がなくなることもある。ずっと追いかけていたバンドが解散することだってある。
自分の中で、時間をかけて大きく育っていった存在が、すくった砂が指の隙間からこぼれるように、さらさらとこぼれ落ちて行ってしまうのだ。
さらさらと砂のようにと表現したけど、実際にそういった事象があると、自分の一部が欠けてしまったような感覚に近いのかなと思う。
そして、おれは器用ではないので、何かを得られた歓喜をこれからも感じるとしても、何かを失った悲しみ事実について、死んでしまうまで何度だって反芻するんだと思う。
そんな喪失感の種を抱え始め、自分の中から湧き出る発想に精彩さが失われ、「いまこの瞬間の自分が、今まで生きてきた中で一番誇れる」って思いがなくなってきて、「あの頃の自分はもう越せない」と悟ったとき、、絶望してしまうのかなって、想像している。
おれは今のところ、今の自分が一番いいと自信を持って言える。
人生の中で今が一番楽しい。本当に。
その自信の中には、今の自分を勇気づけてくれる、過去の暖かい思い出の存在があるから、多分この先もそんなに絶望しないと思ってる。
いま現在の行いも、将来の悲しみでなくて励ましになってくれるといいな。
けれど、「かつて幸せだったことが、今は悲しい」なんて詞もある。
実は、本当は22歳で死ねたらいいななんて思ってた。
けれどもおれはまだ生きている。
だからといって、老いを恐れて三島由紀夫は45歳で死んだ。
そう、死にたいなんて、いつ思うかわからない。
長生きしたいなんて思わないし、死にたいと思ったら死んじゃっても別にいい。
だけど、死にたいなんて思うのは出来るだけ遅い方がいいな、とは思う。
いまのところ。