パーッとやってたいのさ

あと2ヶ月で30歳になる。

20代というものは、貴重で儚い時期だと多くの人から聞かされた。

気力も体力も潤沢にあって、まだまだ朝まで起きていてもへっちゃら。人生のパートナーと出会うのも、先輩方を見ていると20代ということが多いように見える。

そんなことを考えると、20代という時期は1分1秒も無駄には出来なかった。焦っていた。

25歳くらいの頃からだろうか、「30歳まであと○○ヶ月」というカウントダウンを始めた。25歳の時にしても、30歳まであと60ヶ月。給料日は60回。3ヶ月に1回、バンドでライブが出来るとしたらあと20回。半年に1回、旅行に行くとしたらあと10回…。そんな風に焦燥感を煽って、つい怠けがちな自分の尻にムチをふるった。

その甲斐もあって、いまの自分は時間の使い方にちょっと神経質になっている向きがある。

入る予定はなるべく詰め込んで、予定がない日も出来ることが効率的に消化できるよう、細かくタスク管理をした。

その結果、ある程度はいろんな人や物事を相手に出来たという実感がある反面、予定がないという状態を素直に喜べなくなった。

おれがたどり着きたかった場所は、本当に今の状況なんだろうか?


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子どもの頃、自分の好きなことに時間を全部使っても、あまり気にならなかった。

当時は人と違ったことに夢中になることが多くて、友達と遊んだ時間は、人よりだいぶ少ない方だと思う。

それが全く気にならなかったかといえば…そんなこともないんだけど、人目を気にするよりも、自分のやりたいことを消化することの方が圧倒的にプライオリティが高かった。

あの頃、夢中になった物事は、今も自分の一部として機能しているものもあれば、過去に置いてきたものもある。

けれど、そんなことはもうどうでもいい。どちらかといえば、自分のために時間を費消出来た時期を貴重に思うし、その選択ができた自分を誇らしく思う。

それに比べて今はどうだろう?

おれは全然自分のことに夢中になれていない。一度つながった人をつなぎとめるために、取るに足らないプライドを守るために、なんだかくだらないことを、そりゃもうたくさんしてしまっている気がするぞ。

その苦労のわりに、いつだって漠然とした不安に包まれている。

もう、あの頃には戻れないのだろうか?


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2020年、おれにとっては20代最後の変化の年だった。

2月まではバンド活動に励んでいた。演奏はもちろん、イベントの企画だとか友達のバンドのインタビュー集の制作にも、せっせと取り組んでいた。全部、20代の中心にあったこと。

その反面、バンドが落ち着いたら…と後回しにしていた物事の存在も気にしていた。周りに居る人ありきのバンド活動と、個人で出来る物事のバランスが、上手く取れていなかったのだ。

そして、新型コロナが流行り出した。

バンド活動は全部ストップ。自分が考えていた予定も、だいたいが流れてしまった。

そのうえで、後回しにしていた物事に、ひとつずつ着手することにしたのだ。

就職したら買おうと思っていたゲームを7年越しで始め、久々に自炊と運動に時間をかける習慣がついた。少し外出が出来るようになってからは、カメラを持って街に出るようになって、ついったーで見かけたカフェをめぐってみた。農道で鉄道写真を撮ったり、ふらっと登山にも行ったっけな。気になっていた本を読んだり、ちょっとした資格の勉強もした。

この辺のこと、バンドをやりまくる日々が続いてたら、いくつ出来たんだろうか。

そんな挑戦のおかげで、今年のやりたい事リストは結構な量になりそうだ。

去年手をつけたことを、今年はめきめきと発展させたいのだ。その一方で、しばらく離れてしまった楽器とバンド仲間が好きなことも、あまり揺るがなかった。来年は一体、どんな活動が出来るんだろうか…。

ただ、これから先の1年に待っている物事の量を見て、はたと考えてしまう。

物事の多さと幸福度は、比例するのだろうか?

ちょっと、やりすぎてないか?


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2021年の目標…というかテーマは、「たくさん人と話す年にする」といったところかな。

新型コロナが流行り出してからというもの、大人数でわいわい出来ない分、じっくりと少人数でいろんな話をした。飲みに行くのもだいたいは2人か3人。遠くに住む知り合いのもとを、点々と訪ねたこともあった。

そこでわかったことは、同じコミュニティに居なくても話せることはたくさんあって、みんな人知れずたくさんの思いを持って日々を過ごしていること。

別に膝を突き合わせて、気合を入れて対談することはない。おいしいご飯とお酒をいただきながら、綺麗な街並みを眺めながら、くだらないテレビ番組を見ながら、ぼんやりと話が出来ればいいんだ。沈黙なんて、いくらあったっていい。

ざっくばらんに出会って縁が続く友達の顔を浮かべて、その先の表情をもっと見たくなったんだ。

自分のことは…、とりあえず、今興味があることをあくせくと片付けていくことが目標なのかな。自分にしか還元できない、読書や勉強に使う時間を惜しまないでいたい。もっとも、勉強はちょっと挫折があったからしばらくはいいけど(笑)、どうせ放っておいてもまた何かに興味を持つと思う。それのひらめきを、どうか見逃さないように。


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そして裏テーマとして、「なにもなくても笑っていられるようにする」ということ。

思えば、物事の先に誰かがいることや、なにか意義があるということが、20代のうちにすっかり当たり前になってしまった。そのことにより、その時過ごしている時間が無意味だと思うと、簡単に落ち込んだ気分になってしまうようになった。

でもさ、自分のためですらない、名前のつかない時間だっていっぱいあって当然だよね。別に死にやしないさ、やることはやってるんだし。

それに、今の自分にとって価値があると思っている時間だって、他人から見たら、あるいは未来の自分から見たら、取るに足らない時間だったりするぜ?

今の自分に足りないのは、何でもなく時間が過ぎることも肯定することだと思うのだ。


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あと2ヶ月で30歳になる。

おれはきっと、放っといても走り続けるんだと思う。

行き先が決まってればサイコーだけど、なんか違うなって思ったら方向を変える。あてがないときは、あてを探して走り続ける。

あんまり立ち止まったことは、なかった気がするな。

だから、走り続けないと存在しちゃいけない…なんて縛り方、もういいよね。

 

今年の年末、やりたいリストが全然減ってないかもしんない。

そんな状況を見て、大げさに焦りもせず、ケラケラ笑えるようになってたら、それはそれとして成功としたいと思う。


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錆びた弦で良い

破けたジーンズで良い

孤独な夜が あっていい

何も無くても 笑えていればいい

何も無くても 歩けさえすればいい


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