藍より青くなる頃
おれがクロスバイクに乗るようになったのは、前に一緒に仕事をしていた上長のすすめだった。当時、ドンキで買ったやっすいちっちゃい自転車で出勤時刻ギリギリに爆走してくるおれを見かねて、「きみはもっといい自転車を買った方がいい」と言ってくれたのだ。上長ならもっと見かねる点があるだろうと思いながらも生返事をしていたが、あれよあれよとおれを近所の自転車屋さんへ連れていき、きれいなブルーのクロスバイクを一緒に選んでくれた。
もともと中学生の頃は、自転車で2時間や3時間の道のりを苦も無く走破していた身だ。毎日の通勤時間は大幅に短縮できたし、遠く離れた土地へもちょっとずつ自転車を担いで出かけるようになった。最初は伊豆半島に始まり、やがて東京湾一周や霞ケ浦、琵琶湖まで足を伸ばすようになる。そんなふうに休日を過ごしては、出勤したときに上長とお互いの輪行について語りあったものだ。
上長はおれなんて比にならないくらいアクティブに自転車の旅を楽しんでいた。休日になれば、電車へクルマでも身構えてしまうような遠くの山や街まで、自転車とアラフィフの身体ひとつでたどり着いて、その翌日には何食わぬ顔で出勤してる。いまはもう異動してしまったけれど、たまに電話をかけたときはうれしそうに自転車の話をしてくれる。そんな話にいつも圧倒されながらも、いつかこの人が見た景色や味わった達成感を自分も感じてみたいと思っている。
まあおれのことだ。どこかで自転車で何か大きなことを達成しようと心に決めて、誰もが驚くような場所まで…何より自分自身でも笑っちゃうような壮大な自転車旅をするんだと思う。ほんとだよ。してやるよ。
けれど、きっとその頃にはあの上長は自分の手の届くところにはいないのだろう。おれにきっかけを与えてくれて、おれが何か成功したらきっと一緒に喜んでくれるあの人とも、未来永劫付き合いがあるわけではない。誰かにもらった種が花開く頃、種をくれた人はどこか遠くに行ってしまうのだ。
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これまで生きてきたなかで、いろんな人がいろんなきっかけをもたらしてくれたが、そんな人たちの多くが容赦なくおれの前からいなくなっていった。一度きりしか会ったことがない人から教わったことですら、今でもおれの一部として大きな位置を占めていたりする。
いろんな人が置いて行ってくれたものを育てて、「あなたにもらったものがこんなに大きくなりましたよ!」と見せるような体験ができたらどんなにいいだろう。少しは褒めてくれたり、あるいは刺激を受けてくれたり、はたまた同好の士として迎え入れてくれたかもしれない。けれども、そんな場は限りなく少ない。もらったものをひとりで育て続けて、ちょっとは自慢のひとつも出来るような出来栄えになる頃には、一番見せたかった人はもう近くにいない。べつに遅すぎたわけじゃない。人とのかかわりはあまりに移ろいやすく、物事を極めるにはあまりに時間がかかるということなのだ。
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風の噂で、自分が過去にかかわった人が何かを大成させたと聞く。どうも、そのきっかけはおれがとっていた行動と、口癖のように言っていた言葉にあるらしい。どんなふうになったんだろう。会ってみたいな。
けれど、それは無理な相談だ。なんせ、かれの姿も名前もよく思い出せないし、そもそも当時の自分はどんな言動を取っていたんだろう。まるで思い出せないんだ。もう、あの頃のおれはどこにもいないのだよ。