バンドメンバーがもうすぐ父親になるらしい
ある休日の昼下がり。
もう十数年の付き合いになるベーシストの友達が、おれの運転の練習に付き合ってくれた。顔を合わせることはめっきり減ったけど、つい昨日も会ったような顔で「お、おつかれ」なんて挨拶を交わし、出会った頃から変わらないようなテンションで、おれの危なっかしい運転を楽しんでくれた。
なんとかおれが運転の勘を取り戻したあたりで、県道沿いのガストへ入った。出会った頃よりかは財布の中身を気にしないでメニューを選んで、ふたりの間に置かれた飛沫防止のアクリル板を眺めながら、とりとめのない話をする。今日の運転の講評とか、よく聴いてた音楽の話とか、お互いの懐事情とか。
しばらく話して、少し話題が途切れた瞬間。彼は肘に手を当て、眉間に少しシワを寄せた。
(あっ、なんか大事な話がくるな)
「あのさ、ウチ、子どもが産まれるんだよね」
まったく、こういうクセは変わらないな。
***
―そっか、しばらくバンドもできないね。
「そうなんよな。しばらくは父親としての面を大事にするよ」
―頼もしいねえ。
「けど、俺も父親である前に自分だからね。いつかまたバンドマンにもなるさ」
***
おれはずっと、イベンターとしてもバンドに携わってきた。
20歳の頃、初めて自分でライブハウスを貸し切って、友達のバンドに集まってもらってイベントを組んだ。自分の好きなバンドが一堂に会して、それぞれが自分らしいパフォーマンスをする。そんな光景を作り出せた感覚の虜になって、気が付けば何十回とライブイベントを開くことになった。
回を重ねるなかで、おれが求める感覚は変化していった。ある時はひたすら規模にこだわり、とにかくたくさんのバンドを集めた。またある時は、自分とは縁もゆかりもない街で開催することを続けたこともある。
けれど、ひとしきりの経験をした今持っている欲求は、「周りの人が、より深く自分でいられる場所を作りたい」というものだ。
深く自分でいる。
こういった状態は、決してバンドをやっているからといって、それイコールで作り出されるわけではない。
ただ、誰かがバンドマンとして何かを表現している時、少なくとも日常生活では到達できない一面にたどり着いているはずだ。その一面が、心の深遠な場所であることがある。楽器を演奏する、歌を歌うという、ある種の限定された状況において、より強烈にパーソナリティに結びつくようなね。
もしそういった要素が、ただ単にバンドマンとして活躍する場がなくて、封印されてしまうとしたら、あまりに忍びない。隠された自分の人格の影を思いながら、さらさらと日々を過ごしてほしくないのだ。自分が何かを催すことで、人の一面が隠される流れに抗えるとしたら…そんな祈りのような思いを持っている。
もっと言うと、「あなたと会う時は、普段は忘れているような自分の姿になれる」なんて言われてみたいんだよな。これはさ、バンドに限らない話でね。
少なくともおれは、特定の人に会わないと出せない自分の一面を、いくつも知っている。
***
―5年くらいしたら、またバンドに誘っていい?
「そんなに待たせることになっちゃうか~」
―これから5年なんて、きっとあっという間に過ぎちゃうぜ?
***
彼とまたバンドを組むであろう5年後、おれは一体どんな生活をしているのだろう。
最近、何か数か月、数年がかりの目標を持っている人がとても輝いて見える。遠くに旗を立てて、そこへ進んでいるような人は、遊びや人付き合いに執着することはあまりない。そういったものはひと時の楽しみとしてクールに扱って、目的地に向かって着々と歩みを進めているのだ。
どうにも、手放しの自由を楽しむのは難しい。やることが無い時間は持てあますし、手近な快楽を追い求めることは、目の前にぶら下がったニンジンを追うような気分だ。同じ場所をぐるぐる回っていることを自覚しながら、むなしくも消耗し続ける状況。気が付けば陥ってしまう。
なんかさ、遠い目標のことをぼんやり眺めながら楽しむ寄り道こそ、心を満たしてくれるんじゃないかな。受験勉強の合間に寄ったゲーセン、残業の合間に食べたカップ麺のことを思い出す。
これからしばらくの間、彼は家族の幸せを旗印に過ごしていくのだろう。
それまで、おれはどこに旗を立てていようか。ふと、思い出せなくなる。
***
―じゃあ、今日はありがとな。今度遊びに行くよ。
「来てよ来てよ。今住んでるところ、結構いい店見つけたんだよ」
***
きっとそのうち、彼とおれは、そのいい店とやらでお酒でも飲むんだろう。
ほんの数年前まで、ふたりとも縁がなかったような街に、何か思い出が出来そうだ。