父親と鉄道とおれがうまくやっていくために

おれのふるさとは、父親が集めた鉄道雑誌が詰まった本棚だ。

父親の影響で、幼いながらに立派な鉄道オタクをしていたおれは、実家で過ごす大半の時間を、父親が集めた本棚の中身をさらうことに費やしていた。

日本国内の地理の知識は、毎日眺めていた路線図で学んだ。長い文章を読めるようになったきっかけは、鉄道旅行の紀行文に夢中になったことだと思う。カメラを持つようになった今は、シャッター速度や構図のことを考えるときに、ふと鉄道写真の連載記事の知識を思い出すことがある。いまの自分がいるルーツを求めると、どうしてもあの本棚にたどりつく。

そんな風にして、日々かき集めた知識で父親と語り合う時間が好きだった。「今度導入されるあの車両が~」とか「むかしあったあの路線は~」なんて話題で盛り上がるとき、父親をとても身近に感じられた。鉄道のことが間に入る限り、父親とおれは仲のいい親子だったとおもう。

けれど、ある日父親から言われた一言に、おれはそれなりに戸惑ってしまうことになる。

「たまにはさ、鉄道以外の話もしてほしいな」

 

***

 

それから何年かして、おれは高校に上がるタイミングで、鉄道趣味に見切りをつけることにした。

別に興味が無くなったわけじゃないんだ。ただ、駅で電車にカメラを向ける人、珍しい電車に乗ってはしゃぐ人、そういった人たちが急にダサく見えて、自分が同一視されることがイヤになったのだ。

好きだった物事を、好きなまま人目を気にしてフタをした。

その代わり、仲がよかった友達と一緒にドラムを始めることになった。

自分がだんだんとバンド活動や学校の勉強で忙しくなった頃、父親もまた仕事で忙しくなって、顔を合わせる時間も減っていった。たまに話すことがあっても、受験のこととかバイトのこととか、わりと現実的な話ばかりしていた。

けれど、自分がそんな風に変わっていく姿を、父親はとても喜んで見ていたらしい。

あるとき、親戚が集まる場でお酒が入った父親は、おれがドラムに夢中なことを朗々と周りの人に話していた。部屋で黙々と練習台を叩いている様子だとか、ライブの場でいろんな人に慕われている姿だとか、自分の知らない世界でのびのびとしている姿を見れることを、うれしく思ってくれたらしい。

そっか、この人は強くつながる方法を無くした今も、おれのことを好きで居てくれているんだな。おれが自分で選んだものまで、父親は誇らしく思ってくれたんだな。

なんだか、果てしなく話題があった頃より、父親のことがいとおしくなった。

それでも、話すことはあまり思いつかなかったんだけど。

 

***

 

ちょうどその頃からかな、おれは自分がつながりたかった形で、周りの人と一緒に過ごす機会に恵まれるようになった。

いろんな人を驚かせようと、一生懸命に活動したバンドがあった。日がな一日麻雀をしたり、たまに旅行に行ったりするような仲間もいた。親しく思えた人に告白したこともあったし、お付き合いに至った人もいる。

今となっては全部楽しかったし、いい思い出だ。

なんだけど、そのひとつひとつが思い出になるまでには、おれと周りの誰かは、何かしらの目的だとか、名前のついた関係性とかを、大事に共有する必要があった。

そして、明確なつながる理由が失われてしまったとき…。たとえば、バンドが解散するとか、学校とか職場が変わるとか、いわゆる恋愛関係の破局とか、そんな場面で、強く存在したはずのつながりが、バチっと過去になってしまう感覚に襲われてしまう。

つながる理由をなくして、まっさらになった相手と正対するとき、時にはお互いに何も思えないむなしさを覚えた。あれは、うん、つらかったな。

いま、おれがいま長く付き合いを持っている人たちとは、当初の肩書きを外して、一言では表現できない間柄に変化し、純粋に親しさがあるかどうかの付き合い方をしている感覚がある。定義づけに縛られない関係は、気楽で、なんか信頼できて、ちょっと心細いけど、ほのかに暖かい。

一応、おれは今でも誰かと深くかかわりたい気持ちを持っている。誰かと一緒に暮らしてみたり、ちょっと長い旅行をしてみたり、なにかクリエイティブなことを達成出来たら、楽しいだろうなっておもう。

だけどその時はきっと、共有できる目的や関係性を抜きにしても、その人とつながり合ってみたいか、わりとじっくり考えるんだとおもう。

きっと難しく考えちゃうんだろうけど、大丈夫な自信はあるんだ。

だってさ、今までも素敵な出会いばかりだったんだもの。

 
***


たとえば、一緒に話したことより、一緒に言葉を減らしたことの方が残るようなね。

 

***

 

最近、おれと鉄道趣味は、またうまくやれてるような気がする。

鉄道のことがおれの全部ではなくなって、他にもいろんな楽しいことを知ったあとも、鉄道のことでないと満たされない部分があって、なんかそれを認められるようになったんだ。

もう、全部の時間とか労力を使うことはないけど、見知らぬ路線とか車両に乗れるとうれしく思うし、長く走っていた車両がなくなる報を聞くと寂しくなる。ちょっとした遠回りなんて日常茶飯事だ。

父親とはどうだろう。鉄道の話をするときは相応に盛り上がるし、わずかに被る好きな音楽の話も楽しい。だけどなんだろう、もっと深いつながり方が出来ると思うんだよな。

だってさ、お互いにつながっていたいなって思う場面を、そこかしこに感じるんだもの。たまに用事を頼んだ時のレスポンスの早さとか、一緒にお酒を飲んでいる時の緩んだ表情と、ちょっと間合いがあいたときに見せる困った表情。あと、いままでにしてくれた数々のこと。

父親のことにしてもまた、彼を想うことでしか満たされない部分が、きっとおれのなかにはある。

けどまあ、この距離の取り方も父親の性格なんだろう。なんていうか、おれそっくりなんだもん。リアクションを求めないで話したいことをダラダラ話すとか、なんとなーくニヤニヤし合ってテレビ眺めてるとかって、おれたち苦手だもんな。知識で殴り合うとか、問題解決的な会話とかのが得意やもんな。超わかるよ。あ、でも間に母親が入ると、お互いちょっとテキトーに話せるんだけどね。

だからまあ、今度帰省するときは、盛り上がりそうな話題をたくさん用意しておけたらいいな。横に居る母親に話題ドロボーされたら、一緒にニヤニヤしながら話聞いてようね。

 

***

 

星から星へ 君を追いかけてく
無事でいるの?

僕らは もういちど 必ず出会う
どれほどに離れてても

おなじメロディを知っているから


迷子犬を探して / 七尾旅人