憑依芸人

渡良瀬橋で見る夕日を
あなたはとても好きだったわ

きれいなとこで育ったね
ここに住みたいと言った

渡良瀬橋 / 森高千里

 

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ここ何年か、遠くの街に住む友達を訪ねることが増えている。

毎週末遊んでいたような友達がどこか遠くの街に移り住んでしまったり、インターネットの力によって出会ったときから距離的には離ればなれな友達が出来たり、いろんな事情をいい感じのきっかけに化かして、見知らぬ街を探検しに行くのだ。

そんなとき、その友達が普段過ごしている休日に、お供させてもらうような過ごし方をすることがある。

わざわざ新幹線で遊びに行ったのに、ハードオフスーパー銭湯~ラーメン屋をめぐるドライブに行ったこともあれば、朝までボードゲームを囲んだこともあったな。そんときは、ちょっと仮眠した後に洗濯機を2階まで運ばされたっけ。生活感。

そんな風に、観光地でもなければ、写真映えもしないような場所をめぐる時ほど、友達が持っている街や生活への思いを知ることができる。なんでもない風景や出来事に、友達の存在によって色がつく瞬間がとても楽しい。

友達と同じ見方で、その街を楽しむことがあるとすれば、なんだか貴重なことだなあっておもう。

 

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おれは子どもの頃から、どこか遠くの知らない街で暮らしてみたい願望を持っている。

それこそ、クルマの免許を取るときだって、もらった合宿免許のパンフレットにある一番遠い街にしたくらいだ。あの時は島根県で2週間を過ごした。ちょうど東日本大震災が起こったすぐ後だったな。まだ混乱が続く地元を後にして、たどり着いた松江の街では震災が違う国の出来事のような雰囲気で、なんだか普段以上に遠くの土地に来てしまったような感覚を思い出す。

そのあと、就活でも全国転勤には抵抗を持たないで企業選びをしていたけど、結局ずっと地元で出来る仕事に落ちついた。いまでも、しんしんと雪が降りしきる街や、あたたかい潮風が吹く街、自分の街とは違う賑わいを見せる街で暮らすことへの憧憬を、ぼんやりと抱く瞬間がある。けれど、今のところ、それらを選ぶほどの熱意はない。

そんなもんだから、遠くの街で暮らす友達の生活に触れるとき、彼らのように生きてみたかったなっておもうのだ。

おれを迎えてくれる友達は、誰もが自分だけが知る生活のなかの楽しみを、惜しげもなく見せてくれる。穏やかな風が吹く通り、雑居ビルの一角の飲み屋、愉快な友達や家族、こっそり教えてくれた思い出の場所、、、すべてがキラキラして見えて、自分も体験してみたかったなっておもう。

 

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よく悩みを話し合う友達と、いつもの通り出口のない袋小路のような愚痴り合いをしているとき、「たぶんさ、おれたちがお互い入れ替わったら、なんてことなく全部解決するんだろうな」なんて話になったことがある。

もう長いこと、お互いが抱える課題について、たいした前進もないまま取り組んでいる。そしてお互いに「こうすれば解決するのになあ」なんてアドバイスをしては、「いやいや、そうは簡単にいかないんだよ…」と払いのけて、ああでもないこうでもないと言い続けている。

悩み方って、すごく個性が出るとおもう。彼は彼の捉えで、おれはおれの捉えで、何かを深刻に悩んでいる。捉える人が変わればなんでもない出来事かもしれないけど、その人が取り組むことによって、なぜか深遠な哲学になってしまう。

だから、その捉えも含めて、そばにいれたらなって思うのだ。

キラキラした出来事や感動と出会う日がある一方、積み重なっていくのは何でもない日々の暮らしだ。そのなかで、みんなが自分なりに穏やかな幸せだとか、当たり前になってしまった茫漠とした不安だとかをキャッチしている。そんなものを、完全に理解することはなくても、どうにか一緒に感じてみたいなっておもう。

友達と同じ見方で、その生に立ち向かえることがあるとすれば、なんだか貴重なことだなあっておもう。

 

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もしかしたら、自分もまた、
誰かが生きてみたかった人生を歩んでいるのかな。

生まれ変わったらさ、取り換えっこしたいね、人生。

 

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すれ違うベビーカーで また会おうぜ

レントゲン / People In The Box