トーチカ

真夜中の海ほたるパーキングエリアへ、何度か行ったことがある。

重油のように真っ黒な水面のはるか先に、東京の街並みの光が煌々と浮かんでいる。

そんな景色を、客船を模したデッキから眺めていると、なんだか穏やかな気分になれた。

視界に広がる光が灯る場所について、ふと思いを馳せる。


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遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える。

1973年のピンボール / 村上春樹 著(一部略)


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友達への手土産に本を買った。

彼が本の虫になったのは、もうおれとの距離が開いていた頃だった。

何年か前に、バンド仲間として出会った彼とは、はじめの頃はとてもよく気が合った。多くのことを分かり合えた気がして、もしかしたらこの人とは、近い距離で付き合いを持ち続けるかも…とすら思っていた。

しかし、いつしかお互いが見ている先は変化して、すれ違うことが増えた。というか、距離感が近くなるにつれ、もとから見ている先が違うことが分かってきたのかな。

ちょっとした言い争いもして、お互いを気にかけつつも、お互いを拒絶するような、なんとも幼稚な態度もとってしまった。

やがて、彼は関東での暮らしに疲れてしまい、地元に戻っていった。

彼は関東を離れる少し前から、部屋にこもって本を読むことが増えたらしい。その中身を聞いてみると、自己啓発書とか青春小説とかが多かった。自分に足りていないものを読書体験で補いたいって話していたっけ。

おそらく、彼とおれを繋げていたのは「不器用さ」だったと思う。同じようなつまずきにシンパシーを感じて、不器用さゆえにお互いを遠ざけてしまった。どちらかがもっと器用だったら、ここまでは仲良くなれなかった。けれど、器用じゃないからこれ以上距離は縮まらない。そういう相性なんだ。

そんな気づきをして、読んでほしいなって本がいくつか思い浮かんだ。自分の不器用さを肯定してくれた本が、彼の癒しになってくれないかって。けれど、もう近くに彼はいなくなっていた。

彼の顔を見るのは、もう1年ぶりだ。

もうあの頃みたいに、近すぎる関係性のなかでぶつかることはないはずだ。お互いの細かい点に目くじらを立ててしまうこともない。距離が離れて、やっとお互いを尊重出来るのだ。

本をプレゼントしたところで、彼が読むかはわからないけど、そんなことはどうでもいい。おれは、自分がいいなと思う本を、いいなと思う彼に渡したいだけなのだ。独りよがりな行為にどんな感想を持ったとしても、それを伝えられるだけの近さに、もうおれたちは居ないんだ。


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人間同士には、もっとも適した距離感がある。

身近になりすぎて相容れなかった人は、少し遠くから付き合うといい。そんな風に考えるようになったのは、いつの頃からだったろうか。

毎日かかわりを持つ関係を終えて、今では時々一緒にご飯や遊びに行く間柄になった人の顔が思い浮かぶ。

もう彼らとは多くを求め合うこともないし、激しくぶつかり合うこともない。

…いや、本当なら、身近にいる人にしたって、多くを求める必要なんかなかったんだ。一緒に居て自然と前を向ける人と、ただそこに一緒に居ればよかった。そんな関係になれた人の顔のことも思い出すけど、その関係もいろんな事情にさらわれてしまった。

何日か前から約束をして、電車に揺られて会いに行けば、そこにはちゃんと知人が待っている。スマホを開けば、あらゆる方法で知人の近況を知れる。

いいなって思う人たちは、少し遠くで自分を取り巻いている。

そんな距離感の誰彼に会うとき、みんなキレイで素敵な人ばかりだ。

本当はさ、もっと近くで見ていたいよ。


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夜景から視点を下すと、静かに揺らぐ水面が広がる。

東京湾の沖合に浮かぶ海ほたるパーキングエリア。ここから手が届く近さにおいて、喧騒も感動も失望も、平穏を揺るがすものは一切ない。あらゆるものと距離を置いて、ただ穏やかな潮風が吹いている。

訪れるにはいい場所だけど、ずっと過ごすには、少し寂しい。


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闇の中は 居心地がいいけど

醜いものが 見えないだけだ

夜歩く / 筋肉少女帯