憧れを愛に変えた時

憧れを愛に変えた時 何かが破れて壊れた
胸をえぐる 赤いランプが…
でも誰が悪い訳でなく ただ臆病だっただけと
言い聞かせて あたし強く涙を拭いた

赤いランプ / aiko


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これを読んでくれているあなたは、今までどんな風に人をすきになったんだろう?

いわゆる一目惚れもあれば、一緒に過ごすうちにわき出た親近感が大きくなったこともあるとおもう。誰かが持つ人間的な魅力をそばで感じたいという気持ちもあれば、物質的、あるいは経済的な魅力に惹かれることもあるのかな。おれも出来ることなら、都心にマンションを持ってる人とか、年収が5000兆円ある人と付き合いたい。

人との出会いを繰り返すうち、めでたく誰かと気持ちが通じ合って、好意を寄せ合う関係になれたとしたとき、その好意の中身って相手と同じなんだろうか。あなたが誰かをすきになった理由と、誰かがあなたをすきになった理由って、違うこともよくあるのかもしれない。

そんなことがわかったとき、あなたと相手の好意だとか、ふたりで築いた関係は、揺るがないものでいられるだろうか。


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「最近さ、奥さんを見てるとツラいんだよね。」

―なんでさ。仲いいじゃん。

「まあ仲良くはやってるけどさ、なんか、自分が俺と釣り合う存在なのかって悩んでるみたいなんだ。」

―結婚までしてるのに?

「俺、ここ何年かで仕事がすごいイイ流れに向いてるのね。役職にもついたし、年収もすごい上がった。なにより仕事をしてて楽しい。そういう姿を見て、奥さんも仕事してるからさ、自分も同じくらいバリバリ仕事出来なきゃって焦ってるみたい。」

―でもさ、キミはその前めっちゃ苦労してたやん。

「そうそう。キツかった。仕事でほとんど家に居なかったし、いっぱい勉強もしたし、、たぶん20代の半分くらいは仕事に全部使ったとおもう。だから奥さんに言ったの。”俺はすごく大きい犠牲を払って今があるわけ。急に今みたいになれたわけじゃない。もっと違う方法で、一緒に幸せになろうよ。”って。」

―おれがキミと結婚したくなったよ。

「けど、やっぱり奥さんは納得してないみたい。急に資格を取ろうとして勉強しだしたり、もっと責任あるポストに就きたいって上司に言ってる。そんな風にいつも思い詰めてるから、メンタルの状態も良くないし…俺はただ一緒に居られればいいんだけどな。」


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ときどき、自分にないものを持っている人をすきになって、その人の持ち物をマネすることがある。

着ているものとか聞いてる音楽はもちろん、感動したと言っていた映画やドラマをチェックしたり、食べ物の好みや趣味まで合わせようとする。

そうすれば、より相手のことを理解できて、もっと距離が縮まるんじゃないか…なんて論理的な考えならいいんだけどね。単に、常に相手に向いているエネルギーを発散させる先が、相手との同一化へと向きがちなのだ。

かといって、そんなことをしても相手と距離が縮まるとは限らない。むしろ、同じものに触れても、その捉え方が違って、余計に距離を感じることもある。

そんな空回りを繰り返すうちに、いつしか相手とは離ればなれ。それでも、出会った人のおかげで新しい世界を知れて、今では自分を動かす大事な要素になっているものもある。過去に出会った人がもたらしてくれた物事で、今の自分が形成されているといってもいい。

もし、自分に影響を与えてくれる人と恋人になれたとして、恋人の持っている要素をずっと吸収できることがあるとする。けれど、そうしている間にも、恋人は自分が目指す場所へ進み続ける。そんなとき、自分は果たしてずっと恋人を追い続けるんだろうか。

自分は、恋人のことを求めていると言えるのだろうか。

本当に求めているのは、恋人がもたらす自分の変化なのではないだろうか。


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人が勧めてくれなかったら手を伸ばさなかったであろうCDが、いつしか自分にとって一生の名盤になった。ライブにも通うようになった。

けれど、その人はもう近くに居ない。顔も思い出せない。とくに、寂しくもない。


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自分を求めているものを目の前に差し出されて、人の気持ちが動き出す。

運命の一目惚れ、誰かによってもたらされる安心感、自分を変えるきっかけ、そのほか自分ひとりでは手に入らないもの、、、人はそういったものを無意識に求めていて、自分が求めているものを持ち合わせている人に出くわしたとき、恋に落ちてしまうのかもしれない。本当は、自分が求めている要素をもたらしてくれる人なら、替えはきいちゃったりしてね。

だからもし、すきになった人への執着があるとすれば、本当はその人がもたらす物事への渇望に苦しんでいるだけであって、結局自分でしか解決できない問題なのだとしたら、、、あまりに自罰的だろうか。


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すきになった人がきっかけで膨らんだ気持ちに苦しむとき、相手もまた困ってしまう。

ずっと前なんだけど、自分に対してギラギラとした執着を見せてくれた人がいた。気持ちだとか生活だとかを、全部自分に向けようとしてくれたけど、止められない気持ちに振り回されているようにも見えた。

そんな姿と対峙したとき、相手がおれの顔色ばかり見て、自分らしさを失っていって…そんな様子を見ているのが、ただただ悲しかった。

結局その関係は続かなかった。それからしばらくして、今度は自分が別の人に執着することになる。だから、相手の気持ちはある意味で手に取るように分かってしまった。けれど、自分もまた、糸が切れた凧みたいにめちゃくちゃな行動ばかり取っていた。

最終的に、その関係もまた終わることになる。すきな人を失った。そんなとき、相手もまた、仲良くなれた人をひとり失ったことになるんだよな。せっかく芽生えた関係が、コントロール出来なかった感情の犠牲になったんだ。


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求める中身は違ったとしても、お互いが相手に何かを求め、満たされ続ける限り(または満たされるという希望がある限り)、その縁はつながるのだとおもう。

たとえば、自分は相手へ憧れという気持ちを持っていたとしても、相手は自分に対して安心感という違う気持ちを求めて、惹かれ合うこともあるんじゃないかな。それこそ、お互いの利害関係ありきで一緒に居る人だっている。あらゆる関係において、当人がきちんと望んでいる状態にあるか、自分でわかっているかどうかだとおもう。

むしろ心配があるとすれば、求める中身よりも量なのかも。時として、自分の気持ちをコントロールすることができなくて、相手を求めすぎたり、自分が満たされていると感じなくなることがある。もちろん、自分の望む形で、相手から求められたいという欲求が満たされないことも。そんなときに、そこにある関係性は、期待の負荷に耐えかねて、プツンと切れてしまう。

恋愛関係に限らず、家族や友達に対しても、お互いが何をどれくらい求めているのかを考えることがある。その結果、何か行動をすることもあれば、気持ちをグッと抑えて距離をとることもある。いま身近にいる人々の顔を想像すると、いろんな理屈を端に置いて、まずは愛おしい気持ちが湧いてくる。その気持ちを守ることに、エネルギーを割いてみたいのだ。

自分が出会った誰彼は、本当は誰でもよかったのかもしれない。けれど、確かに出会ってしまったんだ。そして、代えがたい存在になってしまって、守りたい関係になったんだ。

そりゃあね、本当は理由もなく、誰かと一緒に居れたらなっておもうよ。実際、長い時間が経った関係って、もう別れる理由がないから一緒にいるような、いわゆる情のような気持ちに変質するしね。

 

だけど、いまはおもうんだ。

時間の力に甘えるのは、誰かを忘れたい時だけでいい。