ビバあいづ
夏の盛りでとても暑い日だった。登り始めから汗をいっぱいかいて、最後まで体力が持つか不安な場面もあった。ひとりだったしね。けどまあ一応無事に登頂して、今はこうしてコメダ珈琲でキーボードをパタパタ打っている。
けどまあ、もしかしたら道中でバタッと遭難してしまって、大量にある未練のために現世をさまよった末に、何とか送り火と一緒に天に召されているのかもしれない。コメダ珈琲天界店からこの文章を打っている可能性がある。天界にもコメダあるのかな。コメダがない天国なんて味気ないな。死んでしまった先の世界にコメダがなかったら、地獄に落とされたとおもうことにしよう。
磐梯山へ旅立った8月の13日は、いわゆるお盆の入りの日だった。
朝の5時半くらいに部屋を出て、6時半くらいに東京駅に到着。例年なら新幹線乗り場は大混雑で、指定席券なんかは1か月前に完売するプラチナチケットだ。ところが今年はこんな騒ぎで、早朝の東京駅もそれほど混雑していなかった。これなら自由席でも余裕そうだ。まあそれでも、駅弁売り場はちょこっと列が出来ていたから、お目当てのシウマイ弁当は諦めざるを得なかった。
案の定、乗り込んだやまびこ号はガラガラ。優雅に鮭のはらこ弁当と少々のうたた寝を堪能して、時速275kmで北を目指す。
車内放送で「感染症予防のため、座席の向かい合わせでの使用はお控えください」という注意があった。そっか、いつものお盆なら、そこら辺で向かい合わせの席を作って、ちょっとした宴会をする団体だらけだったんだよな。まさか発泡酒なんか買わないよ。ちゃんと、ヱビスとかスーパードライなんか買っちゃったりしてさ。飲んべえのご先祖様は、跨ってるキュウリを酒のツマミにポリポリかじっちゃって、現世にたどり着かなかったりすんのかな。その点、新幹線はアルミ合金製だから、たぶん酒のツマミにはならないね。命拾いしたわ。
郡山駅で磐越西線の会津若松行きへ乗り換え。こっちは4両編成だけど、結構混雑してて座れなかった。
ここまでくると、観光目的っぽい乗客も目立ってきた。自分と同じ登山客っぽい風体の人もいれば、おっきい自転車を携えた人もいる。地元のお客さん、ちょっと気になるだろうな。すでに汗が染みこんだマスクの位置を直す。
ふと車体の端に目をやると、津波警報が発令されたときの対応が書かれたステッカーが貼られていた。そうか。ここは東北地方。地元じゃないお客として、ちょっとは気にする。
いまだって、未来から見ればきっと大変なんだろうけど、だからといって、もっと過去のことはチャラにならない。ひとつひとつの事件を、右から左に受け流してしまってないか。得られた教訓について、自分はきちんと身につけられているだろうか。
車両は最新型だったけど、線路には警報器も遮断棒もない踏切が点在している。そこを通るたびに、最新型車両は爆裂的な警笛をとどろかせながら、青々とした水田地帯を電車は爆走していった。爽快!
猪苗代という駅で電車を降りた。ここからタクシーで、登山口であるスキー場を目指す。
タクシーの運転手さんは、しきりにいろんな話をしてくれた。例年なら今頃駅は人であふれてること、新型コロナ以前もスキー場の人出は暖冬で少なかったこと、磐梯山は地元の小学生が遠足で行くような場所であること、、、こういう雑談が楽しめる運転手さんだと、目的地までもあっという間だ。まだまだ話を聞きたいなあと思うけど、なんにしても料金メーターが気になる。会話にお金を払っているわけではないだけに、ちょっと寂しい。運転手さんは親切に今日の天気を調べてくれたうえに、登山道の真ん前で降ろしてくれた。
9:40
登山開始。登山口兼スキー場の標高720mは風が涼しくて、眼下には猪苗代湖がすでに小さく広がっていた。
「いや、絶対遠足で来る場所じゃないだろ…」
歩き始めて1時間ちょっと。やっとたどり着いたスキー場最深部で、汗をダラダラ流しながらつぶやいた。まあ「小学生が遠足で行く」とは言ってたけど、登頂するとは言ってないし…スキー場のゲレンデの広さを、こんな場面で思い知るとは。
それでも、道中には色とりどりの花が咲いていて、トンボや蝶が盛んに飛び回っていた。思わずカメラを出して写真をたくさん撮った。トンボは1ヶ所に長く止まることが多くて、様々なポージングを楽しませてもらった。サービスがいいねえ。
一方、蝶は舞うように次々と場所を変えて、なかなか姿をとらえることが出来ない。もう俺だって若くないからさ、追い回すような恋はしないのさ…なんてハードボイルドにキメられるはずもなく、しばらく飛び回る姿を追っていた。お母さん、ボクはまだまだ苦労しそうです。
「お兄さん、この辺スズメバチっぽいアブが飛び回ってない?スプレーかけてあげる!」
―えっこわい。じゃお言葉に甘えて。
(ぷしゅー)
「これで大丈夫!ご安全にね!」
―ご親切にありがとうございます。こちらこそお気をつけて!
ひとりで行動しているときに、誰か他の人がカットインしてくる瞬間が結構すきだ。
こうやって登山とか旅行の途中で、見知らぬ人と話をする瞬間は本当に楽しい。仕事をしている時でも、それ以外でなにか作業をしている時でも、あるいは一人で飲みに出た時でも、よほどタイミングが悪くなければ、誰かがそっと割り込んでくるのは素直にうれしい。
小さい頃から、おれは他人と接するのが苦手だと思っていた。ずっと一人で生きていたいと思っていたし、なるべくなら人とかかわらない生き方を望んでいた。
けれど、いろんな出来事とか考えに触れた結果、さまざまな人が玉石混交に混ざった環境に身を置くのが苦手なだけで、人とのかかわり自体は人並みにすきなことがわかった。そう整理がついてから、自分が居心地がいいと思える付き合いは、むしろ積極的に持ちたいなって思うくらいだ。
とはいえ、ひとりで行動する時間もすきだから、こうして見知らぬ場所で考え事をしながら過ごすこともある。ちょっと息が詰まる瞬間なんかしょっちゅうだし、疲れてきて頭も痛み始めた頃だった。そんな時に、たまたまその場に居合わせた縁で、誰かを身近に感じる瞬間に救われる。
登山帽のつばから覗いた笑顔が印象的な二人組だった。どうか、ご安全に。
山頂が近くなってきて、一気に視界が開けた。
森林限界といって、高山では標高に近づくと、その環境の過酷さによって森林が形成されずに、低い草木が地面を覆うようになる。天空の城ラピュタの、巨神兵が小動物と共生してるシーンみたいな雰囲気。おれも住みたい。ここまでくると、山頂はもうすぐだ。
うっそうとした森を、見たこともない花や昆虫を観察しながら進む感覚も楽しいけれど、この視界が開けた時の感覚は格別に気持ちがいい。思わず「スゲー!」と声を出して笑ってしまった。
13:40(登山開始から4時間)
標高1,816m、磐梯山頂に到達。
遮るものがない山頂は風が強くて、雲は絶えず姿を変える。その隙間から見える猪苗代湖が、登山口から見えた姿の何倍も小さくなっていた。降り立った猪苗代の駅は、小さすぎてどこにあるかわからない。
標高を示す看板での自撮りに苦戦していると、さっきの二人組に声をかけられた。どうやらおれの少し後に着いたらしい。写真をお願いしたら快諾してくれて、よく撮れるように雲の切れ目を待ってくれたり、近くにあった岩に登ってみたり、親切にすることを楽しんでいるみたいだった。本当に、素敵な人だ。
山頂近くの山小屋でカップヌードルを食べて、少し休憩した後に下山開始。
帰りは、磐梯高原と呼ばれるエリアへ通じる登山道を下っていくことにした。途中にある数か所の火山沼など見どころもあるのだけど、アクセスは行きの登山道に敵わなくて人通りも少ないせいか、少し急峻な作りになっていた。昨日降ったらしい雨のせいで、足場が悪くなっているところも多い。
しばらく進んだところで、子どもの泣き声が聞こえてきた。どうやら、前の方で家族に連れられた子どもが疲れてぐずっているらしい。
おれの存在に気づいて道を譲ってくれたので、子どもの横を通った時に「頑張ってね」と一声かけた。さっきの二人組のことを考えながら。
あの泣いてた子に、おれの声はどう聞こえたんだろう。ていうか、聞こえてないともおもう。きっと山頂までは行けたんだろうけど、その景色はキレイにおもえたかな。けど、暑くて薄暗い森をずっと歩き続けるのは怖いよな。たまったもんじゃない。果たして、どっちの気持ちが強く残るんだろう。
そして、ここまで連れてきた親御さん。きっといい体験をさせようと、ここまで頑張って連れてきたんだね。おれに子どもがいたら、同じことをしてあげられたかな。自分がすきなものを子どもに見せても、それをすきになってくれることの方が少ないのかもしれない。だって、子どもだって、親とは違う人だもん。イヤだイヤだって泣かれちゃうことも、現に起こってるし。子どもがイヤな思いをしていることにフォーカスすると、自分の子どもでなくても胸がギュッとする。それでも、きっとこの親御さんは、これからもこの子にいろんなモノを見せてあげるのかな。
なんだか、親御さんにも「頑張ってくださいね」って言いたくなった。
16:30
裏磐梯スキー場のゲレンデにたどり着いた。登山道はひとまず終了。リフトのゴンドラは全部外されて、シートを被せてゲレンデの片隅に置かれていた。
草が生い茂ったスキー場は、なんだか遺跡を歩いているみたい。広瀬香美の歌声が流れる中で賑わう冬の景色を想像すると、寂しい気分とか荒涼とした風景以上に、なんだか暖かい気持ちになった。ここはかつて人がいた場所。ただ、遺跡と違うのは、これから先も人がいる場所になること。
だいたいの物事は、一度過去になってしまったらもう息を吹き返すことはない。大事なことだけ保管して、後々になってから教訓にしたいとき、思い出して暖かい気持ちになりたいとき、そっと振り返ることしかできないのだ。たまに、一度終わってしまった物事に出会えたとしても、離れていたあいだに生まれてしまった空白を無視することはできない。ま、それがよかったりするんだけどさ。
なんにしても、ここには過去もあれば未来もある。ただ、雪と現在だけがない。
今は、スキーヤーやスノーボーダーの代わりに、黄色い花が背丈を競いながら揺れている。ロマンスの神様の代わりに、夏の夕暮れを吹く風の音が聞こえてきた。
こんどの冬はたくさん雪が降るといいな。朝送ってくれた、タクシーの運転手さんのことを思い出した。
17:00(登山開始から7時間20分、山頂から3時間くらい)
磐梯高原バス停に到着。次のバスは50分後なので、少し周辺を歩いて時間をつぶす。
バス停の近くに、桧原湖という火山湖が広がっている。水面に反射する陽の光がきれいだった。けれど、それを一望できるドライブインや喫茶店は、軒並み店を閉めていた。新型コロナのせいか、お盆とはいえ平日なせいかはわからない。人もまばらだけど、いくつかの家族連れが車を停めてはしゃいでいた。
帰りのバスは、乗ってからほどなくして乗客はおれ一人になった。少し遅れ気味に運行していて、到着予定から7分後に出る電車に間に合うか少し不安になった。そしたら、運転手さんは明らかに速度を上げ気味で運転し始めた。電車の時間を踏まえて、ダイヤが組まれているのを知っていたのかな。なんという親切…なのか?うれしかったけどさ。笑
夕暮れの磐梯高原を爆走するバスに揺られながらも、結局途中でパトカーに追いついてしまった。それでも定刻で猪苗代駅着。運転手さんに「きっと急いでくれましたよね」とお礼を言うと、「いやー、パトカーに先導されちゃったねえ」と照れくさそうに笑っていた。きっと、同じような場面があったら、同じようになんとかしようとしちゃうのかな。
どうか、ご安全に。