再開発・暗渠
「物化とは、ひとつの同じものになってしまうことではありません。区別はある。別々の存在として区別されながら、それでも、他者の楽しみに没入することなのです。」
デッドライン / 千葉雅也 著
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寝起きの顔を、人に見られたことがあまりないんすよね。
誰かと旅行に行っても、あるいは部屋に泊まらせたりしても、だいたい自分の方が早く起きてしまう。
これは別に、人と一緒だと寝付けない体質とかじゃなくて、単に自分の朝型リズムがぜーんぜん崩れなくて…。隣に人が居ようが居まいが、浴びるほどお酒を飲んで終電で帰ろうが、3時だ4時だまでゲームをしていようが、明くる朝は遅くとも9時には目が覚めちゃう。なんて健康的なんだろう。
だから、連れ合いが起きるのを一人で待つことについては、まあまあのスキルを持っていると思う。旅行先でひとりで朝風呂を満喫することは当たり前だし、自分ちで誰かを寝かせたまま、部屋を片付けたり、食事を作ったりすることもある(そのせいで、ちょっと凝った朝食を作ると、いろんなことを思い出してしまうのだけど)。
こんな風に、誰かと一緒に過ごしていても、ふとひとりになる瞬間は往々にして存在してくる。そんなことを思うと、物理的にも精神的にも近い距離に居ても、あくまで自分と相手は別の存在であることを考える。
一緒にご飯を食べるとき、何か綺麗なものを見るとき、ただボーッと時間を過ごすとき、その相手と同化することはない。何かを共有すると居心地がいい他者が、近くにいるだけなんだ。そんだけでしかないし、そんだけでいいはずなんだ。
なのに、なんだろうね。
それで気が済むようになるのに、おれはすこし時間がかかる。
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やみくもに同一性を求めて、いろんな要素を置き去りにしたり、目をそむけたりしたことを思い出すと、ぞっとするな。
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「期待しすぎない」というフレーズの意味を、最近やっと理解出来た気がする。
期待しすぎるってイメージ、「君なら!おれなら!きっと出来るさ!」という感じで考えてた。言葉とおり。そもそも期待って、あんまり使わない単語だし。
けど別に、期待しすぎるってそんな大層なことじゃないんだ。何か思うとおりにいかなくて、イライラしたり悲しくなったりするときに、「あ~、自分がしっかりしてればなあ」って気持ちを持つことがある。これにしたって裏を返せば、「自分は結構しっかりしてるはずだった」って、自分に期待をかけてたことになる。
周りの人にしたってそうだ。自分の近くにいる人が、いつも自分のして欲しい態度を取ってくれるわけじゃない。自分のスタンスと違うことを言ってきたり、過度に甘えてくることもある。
そんな人たちと、なんで自分と一緒にいるかといえば、たまたま同じ仕事をしてるとか、同じ家族に生まれたとか、あるいは好き同士だからにすぎないんだよね。相手が思うがままに行動したとき、あるいは何もしないとき、それで何か揺らぐ気持ちがあったら、自分は相手に多くを求めすぎているんだろう。
そして、自分自身もまた、誰かに求められてるなんて期待したら、それにがんじがらめになってしまうよ。おれがしたいようにして、それを居心地よく思う人が、たまたまそばに残るんだ。今までがそうだったように。
でも寂しいなあ。何かへの期待を目いっぱい膨らませてして行動すれば、周りにも自分自身にもいいことが起こると信じてたんだしね。期待するって、すごいエネルギーを生むんだけどな。
きっと、期待することはやめられないな。しすぎるのを、もう卒業したい。ムダな失望って、本当にムダだ。
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なんか、特に当たり前すぎることばかり書いてるな。
ひとつひとつの概念はずっと前から見聞きしていたし、裏付けるような場面もずーっと前から日々体験している。だけど、コツコツ集めた考え方と体験が一致して、自分の気づきを消化出来るようになったのは、つい最近のことだ。
なんかさ、ずーっと腑に落ちなかった誰かの行動とか、わけもわからず笑いながら泣いたりしたこととか、そういうことにやっとロジックがつけられつつあるんだ。これはこういう理屈でカタがつくな。おっ、しかもなんちゃら現象って名前までついてるじゃん。かっこいい~~とかって。
けどさ、そんな確認作業をしたところで、ハイじゃあ前向きに生きていきましょうなんて、とても言えないよ。
納得する過程で出来たキズは痛むし、「それは違う」って土を被せた思いが、墓標の下から静かに呻き声をあげている。
でも大丈夫。おれだって忙しいからさ、そんなのたまにしか思い出さないんだ。
思い出さないことなんか、いつか忘れちゃうよ。そしたら全部なかったことになる。
なんせ、自分しか知らないんだからね。
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「魔女は自分の直観を大事にしなければなりません。でも、その直観にとりつかれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです。直観は直観として、心のどこかにしまっておきなさい。そのうち、それが真実であるかどうか分かるときがくるでしょう。そして、そういう経験を幾度となくするうちに、本当の直観を受けた時の感じを体得するでしょう」