合わせわざ

 バンド活動をしていても、いつでも最初から好きな曲を演奏できるわけではない。

 

 メンバーが作るオリジナルの楽曲でも、何かしらの成り行きで組んだコピーバンドにしても、演奏する曲が固まった瞬間は、「…ん?」という反応に留まることも多い。「演奏できるっちゃできるけど、なんだかようわからん曲だな」と、苦笑いすることもある。

 

 けれど、次の瞬間には「まあ30回も聴けば好きになるっしょ」と切り替えて、さっそく2回目の再生ボタンを押す。そうしているうちに、本当にその曲が好きになってきて、自分にとってかけがえのない名曲になっていたりする。

 

 いまでも、学生の頃に苦労して取り組んだ曲は、ふとしたときに何十回目かの再生ボタンを押したくなる。決して自分から出会いにいった曲ではないけれど、今となっては教えてくれた人よりも聴き込んでいることが、自分にとってはよくある話だ。

 

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 好きになりたいと思った物事は、たいていのことなら時間とともに好きになれる。

 

 自分が大切にしていることは、元をたどると周囲の人の影響で始めたものが多い。読書と鉄道趣味は父親、音楽は中学の頃の友達、カメラも周囲の影響だ。きっかけは多分、周囲の人と趣味を合わせることで、なにか共通言語を獲得したかったんだと思う。正直、最初のうちはどれも楽しさがわからなくて、むしろ周囲の人と話題が合うことが嬉しかった。そして、ちょっとずつ時間をかけていくうちに、深みにハマっていったのだ。

 

 だから、自分で見つけ出したものについて、ひとりで深みにハマっていける人はすごい。自分だけが価値を分かるって、結構な孤独だもの。

 

 逆に、誰かがきっかけで始めた物事で、そのきっかけになった人が自分の前から姿を消したとしても、おれはひとり勝手に好きで居続けることが多い。部屋を見渡して、自分が今までかき集めたものを眺めてみると、かつてそばにいた誰彼がきっかけで手にいれたものばかりなのだけど、それが誰かはもはや思い出せない。名前も忘れてしまった人にもらった物事に囲まれて、おれは今生きている。

 

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 他人に合わせてばかりの人について、よく「あなたには自分というものがないのか」というツッコミが入ることがある。自分のなかに主義も何もなく、ただ受動的に物事を受け取っていく。それでいいのかい?って。自分もまた、自分の主体性のなさを嘆いていたこともあった。

 

 けれど、他人に合わせようとした物事で自分に合わなかったものって、結果的にどんどん淘汰されていくのだ。こう見えて、好きになろうとしたけど残らなかったものもある。きっと、知らず知らずのうちに、自分に合う物事をきちんと選別しているのだ。それって結構、主体的なことじゃない?

 

 どうせ他人に合わせるなら、全力で好きになろうとしてみよう。自分から沼に入る覚悟でハマってみよう。それでこの世に好きな物事がひとつ増えたら、儲けものだ。

 

 

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