「ご迷惑をおかけします」
「ご迷惑をおかけします」
「お手数をおかけしました」
「申し訳ありませんでした」
これらのフレーズは、いま一緒に仕事をしている同僚さんの口ぐせだ。
1時間に1回はどれかしらのフレーズを耳にするし、会話の最後に3つを連続で口にして締めることもある。そのたびに、話の相手は困ったような表情を浮かべながら、自分の席へ戻っていく。
同僚さんが年がら年中謝罪を要する場面に遭遇しているとは思えない。むしろ、最初の頃から仕事をすぐ覚えていたし、お願いしたことはすぐに済ませてくれる、とても頼りになる人だ。それでも、嘘は百回言うと本当になるというように、毎日かのようなフレーズを口にするところを見ていると、職場で狼藉千万を働いているように錯覚しかねない。もしかすると、本人自身も。
いったいどうして、今の状況に至ったんだろう。
***
同僚さんと一緒に仕事をするようになった頃、同僚さんはおれに対しても冒頭のフレーズを多用した。おれから振った仕事の会話なのに、「お時間をお取りして申し訳ありません」。同僚さんから何か用事があるときは、「あの、つかぬことをお伺いしますが、いまお時間よろしいでしょうか」、なんて。
初めのうちは丁寧な対応にも思えたけど、ほんの数日で困惑に変わってきた。どうしておれは何も不快な思いをしていないのに、お詫びの言葉をもらっているのだろう。おれはこの人に対して、何か許さないといけないことでもあるんだろうか。
ある日、同僚さんに声をかけた。
「僕はあなたのせいで不快に思ったことはありませんから、どうかあまり謙遜しないでください。あなたとは対等に話がしたいんです」
そうすると、同僚さんは困惑しながらこう答えた。
―ええ…そんなことを言っても、わたしはこれまで、こういうふうに職場の人と波風を立てずに接してきたのです。わけもなく上長からつよく当たられたり、同僚や外部のひとに話を分かってもらえなかったり、そんなときに自分をさげておけば乗り切れたんです。それがわたしのやり方なのです。
そんな言葉を聞いて、同僚さんがこれまでどんな職場にいたのかを考えた。同僚さんの話を理解しようとしなくて、ただ自分の主張を押し通す人が多かったのだろうか。そのたびに、この人は対話よりも受け流すことを選んできたのか、いや選ばざるを得なかったのだろうか。
もし、弁の立つ人や職位の高い人が周囲に多かったとしても、それによって誰かが口をふさがれてはならない。けれども、往々にして個人に付着した、態度とか、立場とかによって、周囲に受け流すことを強いられる場面がある。そうしているうちに、生存戦略としての沈黙と遜りだったはずが、自身にとっても自然な姿として内面化されてしまう。
そんな姿を見たくないと思うのは、自分のエゴなのだろうか。
***
時間が経って、同僚さんはおれに対して、あまり自分をさげるような表現を使わなくなったように感じる。
さっきの話をしてから、どうにか同僚さんがあまり気を使いすぎないよう、おれは努めて同僚さんの話をいつでも聞くようにして、出来ることも出来ないことも誠実に応えるようにした…と思う。
まあ別に、そういった行動がもたらした結果とも思わない。単に毎日冗談を言い合っているからかもしれない。けどまあ、過程はどうあれ、1日8時間(しょっちゅう延びるが)をともに過ごす人とは、お互いにストレスもモヤモヤも最小限にして、相手のことも自分自身のことも尊重しながら、よろしくやっていきたいのだ。少しは、そんな状態になれたのかもしれない。
この話に頷いてくれたときの同僚さんの笑顔は、どうかおれの顔色をうかがったものでないといいな。