鉄道ジャーナル

 小学生の頃、父親の本棚には鉄道雑誌が並んでいた。

 

 当時はさまざまな雑誌が刊行されていて、とくに「鉄道ファン」「鉄道ダイヤ情報」「鉄道ジャーナル」の3誌が父のお気に入りだった。

 

 「鉄道ファン」は、当時も今も定番の雑誌で、写真を多く取り入れながら最新のニュースや特集の記事を掲載していた。プロカメラマンの連載があったのが特徴的で、当時はなんとなく読み流していたつもりが、今になってカメラを扱う時にその記憶が役に立っている。構図の捉え方とか、シャッター速度の感覚だとか。

 

 「鉄道ダイヤ情報」は、鉄道の運行ダイヤについての記事が多かった。臨時列車や貨物列車の情報も多くて、載っている写真の少なさに反して、撮り鉄に重宝されていたと思う。

 

 そして、「鉄道ジャーナル」は、今の自分につながる要素がたくさん雑誌だったと思い返す。

 

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 「鉄道ジャーナル」は、その名の通り鉄道にかんする考察的な文章が多い雑誌だった。実際に列車に乗車してのルポライターや、各地の交通政策全般への論考、読者からの投書も多く扱っていた。

 

 とくに乗車ルポの描写は、乗務員への聴き取りや乗客の表情にスポットが当てられていて、その列車が走る土地柄まで想起させる見事なものだった。添えられた写真も、分かりやすく車両をとらえたものより、周辺の景色のなかにポツンと車両が配されている構図や、車内で談笑する乗客の表情に向けられたスナップが多かった。

 

 ある夜行列車の記事を思い出す。ターミナル駅で行き交う通勤電車のなかで、存在感を放つ専用車両のたたずまい。「終電代わりに長距離電車に乗るなんておっかないねえ」と笑う酔客の話。ボックスシートにひとり座る若者のスナップ。ベテラン乗務員の思い出話。明け方の到着時間が早すぎることへの提言とか。

 

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 自分が興味のある車両や路線を見つけたとき、それらがどういった経緯で生まれたか、人々からどんなふうに受け入れられているか、そんなことが気にかかる。いま思えば、鉄道以外の物事を考えるときも、いつもこのような切り口でアプローチしている。好きな対象はそれ単体でこの世にあるものでなく、何かと関係して存在している。そういったことを、ついぞ考えたくなる性格なんだろう。

 

 無機質な鉄道車両が、決められたダイヤの通りに走る。その列車が走っていたことすら、次の日には誰も憶えていないのかもしれない。しかし、その1本1本に、乗客と乗務員が目指した行き先があり、何か内包した事情があり、車窓から差し込む柔らかい日差しがあった。

 

 見知らぬ土地に流れたそんな風景を想像し、どうか平穏な日々が続くことを願う。

 

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