待たっき

紺碧の空に今打ち上げた
声で君の居場所を作ることが出来たら

春風を待ち 夏風を待ち
僕はいつしか君と手をつなぎ

心臓 / セツナブルースター


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ふと、いま自分が待っている物事を思い出していた。

今年の12月はやたらと予定を詰め込んでしまって、みんなしておれのことを忘れたいのかというくらい忘年会の予定がある。おれだって忘れたいことばかりだけど、本当に忘れたいことはもうとっくに距離を取ろうとしている。

なんにしても、忘年会シーズンという理由だけでいろんな人と会う理由が出来るのはとても幸せで、よう考えたらほとんどの用事がつい最近決まったことだ。こういうテンポ感はとても好きだ。師じゃなくも走ってやるよ。そういえばたくさん飲むからたくさんジム行かなきゃな今月は。


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待つことが割に苦手な自分にとって、3か月とか半年も先の予定を考えること実感がなさすぎて、自分じゃない誰かの予定を組んでいるようで落ち着かないのだ。

それでも遠い未来の予定を組む時は、「今は将来のための種蒔きをしているんだ」と自分に言い聞かせて、予定を組むという行為自体に情感を与えるようにしている。なんだか小さい子をいなしているみたいだ。けれども、好きな物も楽しい用事も会いたい人も、全部すぐにでもお迎えしたいんだよ。


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何かを待つことに情感を持たせるとしたら、自己暗示なんかしなくても一緒に待つ人を探すのが定石だ。(ここで「くだらない」自己暗示などという余計な一言を入れようとした自分を深く恥じている。自己暗示にくだらないなんて自己暗示をかけてしまったら、自分の発想が委縮してしまうよ。大人になって自分の考えはほとほと矮小になってしまったのを感じる。対人的には小さく自分を見せようともとも、鏡に映る自分の姿は夕暮れ時の影のように大きくあろうじゃないか)

人を巻き込むタイプの企画をする楽しみって、当日を迎えることより、待つ間にいろんなコミュニケーションが取れることじゃないすか。山のような下調べも、綿密に組んだ時間設定も、当日必要が無くたっていいくらいなんだ。

そういえば、子どもの頃は遊園地に行けば乗り物に乗っている時間が一番楽しかった。でもいつの間にか、友達とか(とか)と順番を待っている時間だとか、そもそも電車に乗って到着を待っている時間が楽しく感じるようになってきた。言葉にはしないけども、おれたちは乗り物を待つために仲のいい人を誘い、チュロスを買って列に並んでいるのかもしんないよな。


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もしかすると、一緒に待つものが無くなった時に、あらゆる物事を待ち尽くした時に、人と人は離ればなれになってしまうのかも知れないな。

別にトイストーリーマニアとか高飛車をってわけじゃない。ラーメンもタピオカも待ち尽くせばいい。ロマンスカーで箱根に着くのを、一緒にお酒を飲んで迎える朝を、新しい季節が来ることを、そばにいる人の知らなかった一面を知ることを、知りたかった一面を知ることを、知り尽くした人が成熟していくのを、やがて死んでしまうことを、おれはどれだけ待っていられるんだろう。待ちたくなり、誰かに待ってもらえるのだろう。

おれから離れていった人は、きっとおれと何かを待つのが退屈になってしまったり、あるいは待っても面白いことはないと思ったのだろう。おれが誰かにそう思ったように。

だからこそ、この人と何かを待てば…ちょっと違う。この人と待ちぼうけをするのは悪い気分じゃないな、楽しいな、とでも思ったから、おれは今周りにいる人と一緒にいるのだろう。


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時として、フードを深くかぶり、目をつぶって、一目散に誰もかも置いてけぼりにして走り出すこともあると思う。それでも、行きついた場所で誰かが待っている気がする。いままでがそうだったから。

過去に、もう誰も待っててくれなくていいんだ、とかって思ってたはずなのに、なぜかおれは人ごみの中にいるし、突然誰かが飛び出してくるのを待っている。

そして、居なくなってしまった人との再会を待ちつつ、その人を忘れる瞬間もまた待ち続けている。


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同じ朝を待った あれは思い過ごしだったのかい
僕は覚えてるよ 今も覚えてるよ

教会通り / LOST IN TIME