あなたの10年、どうだった?vol.3 - 前編

 今回の記事では、「あなたの10年どうだった?」というテーマで、またっきーの個人的な知り合いの方に、過去10年間にあった出来事を振り返ってもらいました。

 

 10年間。数字にすると重みがありますが、瞬く間に過ぎてしまうような年月でもあると思います。これを読んでいるあなたも、様々な出来事を経験し、様々な感情を抱いてきたのではないでしょうか。そういった、ごく個人的な歴史について、一緒に紐解いていきたいというのが、この記事の趣旨です。

 

 お話の内容は、語り手の方から事前に用意してもらったトピックをもとに、可能な限り自由に語ってもらいました。この記事は、何かのテーマに特化した聞き取りではありません。仕事、学業、趣味、恋愛など、大切にしていた物事の移ろいに思いを馳せて、その時々のことを率直に話してもらうように努めました。

 

 なお、お話の内容は、地名や特定の人物が分からないように編集しています。

 

   ***

 

▼10年前 夢

 

―10年前は「夢」ってありますけど…。

 

 まあ、正確にいえば10年前だけじゃないんだけどね。4年間、めっちゃ勉強して…。弁護士になりたいっていうのが、夢だったからさ。

 

 ちょっと前後しちゃうんだけど、高校の頃は別に勉強ができるわけでもなく、落ちこぼれてたの。周りが受験してるのも見てたけど、なんでみんな大学行くのか意味わかんなかった。そこで一回就職して、いろいろ仕事をやりながら、こういうのはもうちょっと深く知りたいなとか、いろいろ疑問が出てきて。それで調べて。だったら、大学行って、こういう学部入れば何かわかるかな?とか。ちょっと本読んで興味持ったりして、こういう勉強したいなってわかって。それで、夜間部の大学に入って。

 

 そのなかで、なんか人と人とのかかわり合いがある学問…人と人が生み出す現象とか。そういうのに興味があったから、それを突き詰めて…。最終的にそういうのが一番見れるのって、弁護士とか、人と人が揉めているところとか、和解してきたりとか、そういうのを見ているのが、多分自分にて向いてるんじゃないかなと思って、法律勉強して。ちょうどまさに、この年はがむしゃらに勉強して夢を追いかけてたっていう。

 

 これは結局7年前まで続けるんだけど、特にその中では一番頑張った年でね。

 

―この頃は、入って1、2年目ぐらいの頃ですか?

 

 そうだね。九州の大学院…ロースクールってとこだけど、入って2年目だね。

 

―だと、勉強し始めて序盤というか。

 

 まあ、それもそうなんだけど、まあなんて言うのかな?どの年も、自分としてはすごい一生懸命やってたんだけど、この年はちょっと思い入れがあって。

 

 (入学してから)初めの頃は、なんかこうがむしゃらにやってて。暗中模索みたいな感じ。それがちょっと、この頃になって、こう一筋の光というか、方向性みたいなのが見えてきて…。もしかしたら、このまま頑張れば自分の夢が実現するかもっていう風に思えた年。

 

—もしかしたら、自分の夢はこれかもってのが見つかって。

 

 夢もそうだし、受かるためっていうのもね。勉強方法とか。

 

―受かるためって目標が出来て、方法がついてきた。

 

 そうそう。大学院から法律の勉強を始めたからね。

 

―じゃあ当時は、勉強が生活の中心だったんですか?

 

 そうだね。それこそ…あんまね、何時間勉強したとかは計った事無いんだけど、起きて、学校行って、それで夜の12時くらいまで学校行って、それが日常になってた。もちろんね、帰りにお酒飲んだりとかは全然やってたし、そういった息抜きとかはしてたけど、気付いたらそういう生活してたね。

 

―気づいたらってことは、あんまり苦に感じなかったんですか?

 

 やっぱり大変だなって思ったりはしたけど…。でも、めっちゃツラいとかっていう感じはなかったかな。 楽しかったんだよね。(勉強を)やれてること自体が。

 

 これは俺の感覚だけど、何のために大学行くか分かんないって言ってた頃、とりあえず周りがやってるから受験勉強していたって言う時期があって。勉強時間とか勉強の量とかは、その時の方が全然少なかったんだけど、精神的にはそっちがキツかったのよ。

 

 大学院は自分で選んでるからね。興味があってそっちの方向に向かっていたわけだからさ。みんなやってるからやる、みたいな、そういう類の苦痛はなかった。自分のやりたかったことが出来てるって感覚が、勉強を苦痛にさせなかった。

 

 

▼9年前 仲間

 

―9年前は仲間とありますが。

 

 これは一緒に勉強した仲間と、最後の年でね。ロースクールの最高学年。

 

 単純に受験のライバルとかみたいな感じで、お互いにあいつが出来てる出来てないとか、自分が上だ下だっていう感覚になりやすいと思うんだけど、俺の周りはそういう人がいなくて。「一緒に受かろうぜ」みたいなタイプの人がつよくて。おんなじ方向を向いて頑張っててきたから、それもほぼ一緒にいたような感じで。部活に近いっちゃ近いんだけど、「同じ釜の飯を食った」って感覚があった。

 

 いまもね、そこで知り合った連中は親友が多くて。九州に俺が行ったりすると、いらっしゃいとかじゃなくて「お帰りなさい」って言ってくれるんだよ。生意気な後輩とかもいるんだけど…(笑)。アツいんだよね~、みんな。心地いいんだよね。

 

 これはこの年じゃないんだけど、俺より先に受かってた人がいて、全然連絡はよこさないんだけど、常にこう…次の試験とかで「どうでしたか?」とか、結果をただ、落ちた受かったとかを聞いてくるんじゃなくて、「マジ頑張ってくださいね」みたいなとかを、すごい言ってくれるような連中で。「協力することあったら、しますよ」って言ってくれる連中もいたから。そういう仲間って、人生で今までいたかなって。いなくて。

 

 だからね…。俺が九州行くって言ったら、人が10人くらい来てくれたりとかね。俺が人として優れてるとか、そういうわけでもなくてね。そういうやつらなの。暑苦しいの(笑)。

 

―そういうアツい仲間と初めて出会って、戸惑いとかは無かったですか?

 

 いや、最初からもちろんそういう訳じゃなくて。一緒に勉強して、酒飲んだりとか…、自主ゼミとかでお互いの書いた答案とか見せあったりして、ああでもないこうでもないって言い合ったり、「受かる気しねえわ~」って愚痴こぼしてたら、「がんばりましょうよ!」みたいなね。後輩とかを飲みに連れてったり、鍋やったり…そういうのをね、みんなやりたがるんだよね。

 

―アツい仲間がいたとともに、あなた自身も仲間に声かけたりもしてたんですね。

 

 いや~、俺の方が声かけられてることが多かったよ(笑)。

 

 なんかそういうつながりにね、10年ぐらい経つけど、なれてるからね。当時から変わんねーなって感じで。みんな、自分っていうのをかなり強く持ってる奴が多かった。かといって他人は他人。自分は自分ってスタンスで。この感じを口で説明するのはなかなか…。

 

―なかなか自分を強く思ってるけども、仲間には優しくできる…。

 

 優しくっていうか…(笑)。

 まあ、そうだね。自分がしっかりしてるから、人のことを見れるのかな。

 

―あなた自身にも、そういう性格はあてはまると思いますか?

 

 う~ん、比較の問題だからね。だから、どっちかっていうと強い方なんじゃないかな。自分ではそうは思えないんだけど。

 

―それは九州に行く前から?

 

 いやたぶん、大学に入るって自分で決められた時からかな。めっちゃ悩んで決めたからさ。人がどうしたいかで決めてないから、自分がどうしたいかで決められたっていうのが、俺の中でベースにあったんじゃないかな。

 

―学生最後の年と言っていたけれど、ここで仲間とも離れるというか、関係性が変わっていったんですか?

 

 卒業でおのおの試験受けるし、俺は関東に帰るって決めてたからね…。後から振り返ると、仲間にたいする思い入れが一番強い年だったんじゃないかな。

 

 

▼8年前 活動

 

 関東に帰ってきたんですよ。最初の試験を受けた年でね、結果発表が届いて、もぬけの殻みたいな状態に…魂抜けちゃって笑。

 

 それでちょっと、久しぶりの関東だし、こっちの活動?ってそもそもしたことなくて。なんでかって言うと、当時5年半付き合ってた人がいて、あんまり友達作るとか、そういう頭がほぼなかった。Twitterもやったことなかったし。

 

 それで、そいつとも別れて…恋人ではなくなったって言い方がしっくりくるんだけど、それで活動してみようかなって。

 

 Twitterを始めていろんな人と知り合って、めんどくさいことにもいっぱい巻き込まれて…免疫がないから(笑)。それで、人生で初めて、いろんな人に会い始めたのが、この年。なんか、合格発表まで積極的に活動してて…暇だったからね。ひさびさの関東だったし、半年くらい好きにやってても罰当たらないでしょって(笑)。

 

―この年は、こっちの人と会ってみるというのが、大きい部分を占めてた印象?

 

 そうだね…。なんかTwitterも今思うと間違ってるんだけど。

 

―間違ってる?

 

 うん。だって、片っ端から何千人のフォロワーさんとかいて、とりあえず声かけてみたいな。んで、どうしてこの人構ってくれないんだろうとか、わけわかんない感じで。あと鍵ついてる人は怖い人かもとか…、偏見なんだけどさ(笑)。偏見と勘違いと未熟さ(笑)。

 

 だからまあ、いろんな人に会ったね。ちょっと無理やり。

 

―いろんな人に会おうかなって力が働いてた。

 

 なんかね、ずっと九州にいて、関東に全然帰ってきてなくて、試験も一応終わって…、ハジけたかったの(笑)。

 

―こっちの人に会えばハジけられるかなと(笑)。

 

 そう、希望というか…。なんかね、こっちの人がみんな、キラキラして見えたんだよね。だから、その景色を観てみたかった。まあ、幻想だったんだけど(笑)。あと、アプリもやって人と会ったりもしたし、ゲイバーも初めて行ったし、バスケサークルに入ったりもした。

 

 ただ今思うと、すごい無理してた。合わせようとして、「こっちの世界ではそれが当然だ」みたいなのに。今思えばね、その言い方がすごい視野が狭いんだけどね。慣れようとして無理しちゃって、結局そんなんじゃ友達も出来ないし、ただ活動を始めたって感じ。

 

―そうなんですね。いまお話を聴いてて、学生の頃は勉強しながら仲間と密な関係が築けていたわけで、それとの落差みたいなものを感じました。

 

 そうだね。話聴いてくれるヤツが多かったからさ、九州には。でも、コミュニケーションの仕方の違いだよね。まあ、当時は話せば伝わると思っちゃってたの。そんなことはなかった(笑)。別に、仕事とかでもそうだけど、伝わらない人には伝わらないんだよね。

 

 伝えたい人に期待しすぎた、求めすぎたんだと思うよ。単純に。そりゃ、こじれるよね。

 

―じゃあまあ、この頃は、いろんな人と会うことを始めて、ただ違和感もおぼえつつ過ぎていって。

 

 そうだね。この頃に会った人たち、正直キライな人が多いんだけど、唯一申し訳ないなと思うのは、自分から近づいていって、自分から去っていってるからさ。それが不快に思われたら、しょうがないなって。

 

―実際に、傷ついたって言われたことあります?

 

 それはない。くどいって言われたことはある。アツすぎるって(笑)。九州のノリになっちゃってたからね。あと、真面目過ぎるとか。

 

 でもなんか、向こうは向こうでプライド持ってる人が多かった。誤解を恐れずに言うけど、Twitterでフォロワーが2,000人も3,000人もいて、写メめっちゃあげてて、「誰々と遊びました~」ってやってる人たちって、今思うと傷つきやすい人が多かった。あとは、本当はすごく寂しい人とか。

 

 その人たちの触れてほしくないところに、俺が触れちゃってたんだと思う。「そういうツイートって意味なくないですか?」とかって言っちゃってたから(笑)。直接言い返してこなかったけど、Twitterに書かれたことはある。その場でね(笑)。

 

 でもその時、俺は気持ち悪いなって思っちゃって。別の人が「人には言いたくないことだってあるんだから、察してあげないと」って言ってて。なんで察しなきゃいけないんだって思ったし。それもまた俺に直接じゃなくて、Twitterに書かれてた(笑)。

 

―それもまた学生の頃には出会わなかったような…。

 

 今後も出会いたくないけどね(笑)。

 

 

▼7年前 絶望

 

 この頃、年末に出会った人がいて、7個下の子なんだけど。なんか、東京の飯田橋か…なんとか橋で(笑)、酒飲んで盛り上がってたのね。年明けもちょいちょい会ったり、ほぼ毎日LINEしてたのよ。それで、デート3回ぐらいしたのかな。相手んち泊まった時に告白して、付き合うことになって。それが…すごいことになって。

 

 当時まだ、俺は試験受かってなくて、勉強してて。ニートだったし。向こうは大学行ってたのよ。だから、俺が「勉強するならどこでも出来るから」って、向こうの大学で勉強してたこともあったし。あと、向こうの近所の図書館で勉強してたりとかして。

 

 まあ、その子と半年くらい付き合ったんだけど…。「なんでこっちの世界に興味持ったの?」みたいな、雑談とかしてたわけ。その時に、その子が実家にいた頃に、とある災害に遭っていて、そのときの生々しい話をいろいろ聞いてたのよ。

 

 そんなかで「なんでこっちの世界に興味を持ったの?」って言ったら…。最初この話は受け入れられなかったんだけど。そいつは、ある災害に遭った影響で、家族で引っ越してね。そこで知人が出来たんだと。それであるとき、無理やり犯されたんだと。

 

 今だから話せるんだけど、俺にとってそれがだいぶトラウマでね。別れてからも3年引きずった。どういうことされたのかも聞いて…。

 

 俺は…、混乱しちゃって。その話を聞いたとき、泣いちゃったんだけどさ。それで、何かできることがないか、ずーっと考えちゃって。

 

 その子、その件とは別にして、結構重かったんだよね。付き合った瞬間に合鍵渡そうとしてきたりとか、「もう家族だから!」って言ってきたり…。俺の中で彼は、災害の被害を受けた人で、性被害にもあってるし、本人が自覚していないのも、性被害者特有のことだというのも俺は知ってたし…。それらのことを恋人っていう立場でどう向き合えばいいかっていうのを、すごい考えてた。はっきり言って半年で終わってるから、半年なんかじゃ全然足りなかったんだけど。

 

 俺はこの時期にね、人生で一番無力感を感じたんだよね。俺は偉そうに法律の勉強をしてて、恋人ひとり助けられないんだって。俺、人生で一番くらい病んだんだよね。かといって、恋人の前でそういう態度は見せたくないし…。

 

 いろいろわーって考えてたときに、向こうの勉強の都合で何週間か会えなくなったのよ。それで帰ってきたら、クッソ冷めてたの。めっちゃつっけんどんな態度だし、突き放すような感じになってて。俺の誕生日が近かったんだけど、「わざわざ時間作っといてあげたから!」みたいな感じで。最初は「好き好きー!」って感じだったのに。

 

 それで別れ話になったんだけど、結局誕生日の3日前にフラれたからね。しかも、会おうってなったのが夜の10時半からだよ?それでさ、最初はいろいろ言って、別れるって言わなかったの。だから、「何言ってるか分からないけど、別れないみたいでよかったわ」って言ってたんだけど、夜12時回ったら、急に「もう付き合えない」とかって言いだして。そこからさらに2時間別れ話。次の日用事あるのに(笑)。

 

 もういろいろ言われたよね…。「普通の恋愛がしたい。もとに戻りたい」とかって。なんも言えないじゃん。

 

 でも、最後の一言は許せなかった。「なんで俺と付き合ったの?」って聞いたら、「最初はあなたを通じて、自分を好きになりたかった。だけど、ようやく自分自身で自分が好きになれるようになってきた。だから、もうあなたはいらない」って言われた。正直、意味がわからなかった。俺、モノじゃん?って。付き合ってる期間、全部否定されたような感じ。

 

 悪いけど、俺それから3年くらい病んでたからね。でも、その3年くらい経って、ようやく忘れかけてきた頃に、その元恋人がTwitterやってるの見ちゃったの。しかも、「1回リセットしたい」とか、「自分の居場所はこっちじゃない」とかって言ってたのに、別れてからすぐにTwitter再開してたのがわかって。「さすがにこれはナシじゃない?」とかってめっちゃ送ったけど、全部無視されたし。ていうか、こいつヤリモクになってるし(笑)。

 

 変な話、俺もこっちのつながりもあるからさ…、いい噂を聞かないんだよ。それがさ、悔しかったんだよね。最初はそこまでひどい子じゃなかったからさ。俺は、あいつの言ってたことをそのまま受け取って、一生懸命考えてきたわけだからさ。

 

 それで、彼は俺の知り合いとも一瞬付き合ったのよ。でさ、俺にやったときと似てるんだけど、最後にちゃんと向き合わない…音信不通にすんだよ?付き合っててさ、最初は盛り上がってたのに、最後音信不通ってひどすぎるでしょ。いくらなんでも。それってさ、自分が傷つきたくないとか、悪者になりたくない人のやり方だから。

 

 「もう家族だからね」って言われた数ヶ月後に、「もう必要ない」となって。自分の言葉に重みを持とうよって。それが達成できないなら、せめて「ごめんなさい」くらい言ったら?自分で言ったことくらい、自分で責任取ったら?ってね。そういう態度が、どれだけお前を大事にしてきた人を傷つけてるかわかる?って、本人に言いたかった。それを乗り越えるのに、3年かかった。

 

 でも、アイツ、めっちゃひどいことをやってるけど、じゃあ俺は何が出来たんだろう?って。全否定じゃなくて…ああならざるを得なかった気持ちもわかるなって。何かしてあげられなかったっていうか…、助けられなかった。

 

 結局、「これが正解なんだよな」というのと、「ちょっとやりようがなかったな」というのと、「でも最後の態度はなかったよな」っていうのがグッチャグチャ。整理もつかないくらいだった。この頃が、人生で一番病んでたんじゃないかな。このとき試験受かってなかったら…。

 

―あっ、試験は受かってたんだ。

 

 そう。仮に落ちてたら…、もう勉強も辞めてたと思う。

 

(後編へ続く)