友達・恋人・パートナー

「結局、わたしの旦那はいい彼氏だったけど、いい夫にはなれなかったんだよね」

―ずっと前、どこかの飲み会にて。

 

 ***

 

 友達として出会って、やがて恋人になって、ゆくゆくは人生のパートナーになる。そんな流れが決して当たり前でないことに気づいたのは、いつだっただろうか。

 

 最初は自分はゲイだから、友達とか、恋人とか、パートナーとか、そういった見方がノンケの人とは違って見えるのかと思っていた。ゲイ同士の友達が恋人になることはないとか、パートナーシップを結んでもすぐに解消するカップルが多いとか、ネガティブな噂にもずいぶん振り回された。

 

 けどまあ、それは何もゲイの恋愛に限った話でないことは分かってきた。とても親密に見えるヘテロセクシャルの異性同士が友達付き合いに留まることも、大恋愛の末に結婚したのにすぐ離婚した人もいる。お見合い結婚や婚活みたいに、友達や恋人としての期間を経ないで、サクッとパートナーと出会う話があれば、ゲイの友達同士で生活のパートナーとして一緒に暮らしている人の話もよく聞く。

 

 そんなふうに、誰かと親密なかかわりを持つとき、お互いにどんな関係を求めていて、そこにつく肩書きの意味するところとかを、ぼんやり考えることがある。

 

 ***

 

 友達が恋人になり、恋人と結婚して人生のパートナーになる。そういったことを、関係の進展と定義するらしい。異性カップルなら子どもの出生も入るのかな。こういったことが周囲に起こると、うれしそうな当人へ向かって「おめでとう~」なんて祝意を贈る。自分もそういう気持ちは、おおいに表明する。

 

 けれど、進展がない人間関係も存在する。とくに変わりなく、ずっと友達をしている人なんかはよくある話だよね。そうでなくても、一緒に住むとか何か誓いを立てるでもなく、ずっと恋人をしている関係もいる。パートナーシップを結んだり同居したりしたら、次はどんなことを持って関係の進展と呼ぶんだろう。

 

 そうして、ずっと変化しない関係性に飽き飽きしたり、変化する志向の行き先にミスマッチが生じて、離ればなれを選んでしまう人たちもいる。自分にしても、そんな理由で泣きながら別れた人がいる。でも、あの涙は流されるべき涙だったのだろうか。進展がなくても、ずっとその関係を楽しむもいいと思うんだけどなあ。今にしてみれば。

 

 ***

 

 自分にはいま、適度に気をかけ合ういくらかの知人がいて、特別な思いを持ち寄って接している人がいて、生活をともにしている人はとくにいない。

 

 そのうち誰かと一緒に暮らせたら楽しいだろうなとは思うけど、それがどんな間柄の人かはわからない。少なくとも、ふたりだけの愛の巣を作るような志向は持たないんだろうけど、それも今んとこの考えだ。

 

 なんにしても、友達とか、恋人とか、パートナーという肩書きは、それが先に来るのではないと思っている。誰かと何かしらの好意を積み重ねた先に、なにか既存の定義があてはまるとしたら、そのときに初めて名前のついた関係になるんだろう。

 

f:id:ogaki375:20220121193940j:plain