関心を持たれる尊さ
何もしていないのに「かわいい」「かっこいい」「おめでとう」「よかったね」、そして「愛してる」と言われることは、私たちからもっとも遠くにある、そして私たちにとってもっとも大切な、はかない夢である―
岸 政彦 / 断片的なものの社会学
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もうずっと前、名前も忘れてしまったバンドでステージに立った時の話。
その日は、知り合いが企画したイベントではなくて、会場になったライブハウスか、どこかのイベント会社からのオファーで出演したものだった。居合わせた人々には一体感がなくて、なんとなくしけた空気が流れている。どのバンドも身内のお客とだけ盛り上がって、他のお客や出演者は所在なさげにたたずむばかり。そして、ひとつの出番が終わるごとに、お客も出演者もそそくさと帰ってしまう。
自分たちの出番は一番最後。トリと言えば聞こえはいいけれど、こんな日はもう盛り上がることも期待できない。集客も全然できてなかったし。案の定、ステージから見えたのは、わずかな人影と、だだっ広いフロアのくすんだ白さ。
今日は、自分たちのために演奏をしよう。そう思っていても、一音一音を出すごとに、それらが自分たちのため…でしかないことを、刻まれるようだった。
ガランとしたライブハウスを、ただ音で埋めた30分のことが、どうにも忘れられない。
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もう1年くらい、同僚さんに仕事を教えている。
話すべきことは今も尽きないし、過去に教えたことを二度三度と繰り返すこともある。難解な事案にあたると、教わる同僚さんも教える自分も、頭を抱えてしまうことだってある。
それでも、同僚さんがいつも誠実な態度で、自分が積み上げてきた経験や知識を聴いてくれるたびに、とても満たされた気持ちになる。別にひとりで仕事をこなしていた頃も、仕事に対する不満はあまりなかったのだけど、自分だけにとどめていた隠れたこだわりだとか、大切にしていた考えを伝えるという体験によって、新たな喜びを知ることになった。そういう境遇って、あんまりない。
就職して以来、こなす仕事の行きつく先にあるのは自分自身だった。目の前に積まれた仕事を、ひとつひとつ納得して片付けるために、努力しただけのはずだった。そこに、あとから価値を認められたような気がして、うれしくなったんだと思う。
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自分で育てた物事の価値を、あとから認められた経験も、そうでない経験も両方したけれど、それによって自分の進む先が変わることは、あまりなかった。どちらも自分の関心が続く限り、自分のために研鑽を深めるだけ。あるいは、たとえよい評価を得られたとしても、自分の関心が途絶えればやめてしまう。他者からの反応なんてそんなもの、なんて割り切れる性格なのはありがたい。
けれども、自分の行いに関心を持ってくれる他者がいることは、自分のモチベーションとは別のベクトルで、とても貴重に思う。誰かがただ見ていること自体は何かの動機にならずとも、自分が物事を進めること、あるいは断念することといった選択について、自信を持たせてくれる存在にはなる。
自分の気持ちに従うまま、歩みを止めることができず、たどり着いてしまった場所が目指していたゴールなのか、自分を信じ切れないことがある。そんなとき、そっとチェッカーフラッグを振ってくれた人のおかげで、気持ちがラクになったこと、肯定されたことがある。
そんな人は、いつでもいるものではない。
縁が続く限り、大切にしていきたい。
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いつも笑顔が素敵な友達の事を思い出す
ぼくはなんだかそれだけで高く飛べそうな気がしたよ
セツナブルースター / その約束に
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このエッセイ集もまた、誰かが読んでくれていることを思いながら、ここまでたどり着きました。
ありがとう。あと1話です。