予想を超えていこうぜ

 部屋の片隅に、オーダーメイドで作ったカレンダーがぶらさがっている。毎月のページには、自分がおととし~去年にかけて撮った写真が1枚ずつ載っている。その時期の花の写真とか、出かけた先の風景の写真とか。

 

 どの写真も我ながらよく撮れていて、月の暮れにページをめくるのが楽しみになった。撮りに出かけたときのこともありありと思い出したりして、今度の休日はどこかへ出かけようかと考えるきっかけにもなる。けれど、その一方で少し不安に思うことがある。

 

 おれは過去に撮った写真たちを、超えることができるのだろうか?

 

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 100点の評価がされた映画の続編が作られるとき、続編では120点が求められるという話を聞いたことがある。前の作品と同じクオリティのものができるのは当たり前で、そこからさらに真新しさがないと、単なる焼き増しになってしまうという。

 

 厳しい話だなあと苦笑いしつつ、ストンと腑に落ちた感覚もあった。最初に100点の評価をもらった映画では、そもそものポテンシャルが未知数な中から、その真新しさとの遭遇という衝撃も含めて評価されている。一方、何かの続編では、作品ができる前からその期待値は高めに設定されており、予想をどれだけ軽々と超えるかがに評価基準になってしまう。

 

 もし予想通りが許されるなら、後にはマンネリが待っている。きっとそれは、最初に得られた評価があまりに高くて、マンネリすら美学にしてしまえるような、十分評価に耐えうるような作品にのみ成立することだろう。

 

 この話を聞いてから、自分も2回目やその先がある物事については、前回のクオリティを少しでも超えられるよう努めるようになった。同じ仕事をするにも、前よりもちょっと練られたものが出せるように。同じ場所に出かけるにも、前より楽しく効率的に過ごせるよう工夫したり。

 

 なにより、同じ人と繰り返し会うような場面でも、前に会ったときとは少し違う自分になれていたらいいなと思うようになった。いろんな話題を持ち合わせて、自分の見た目もちょっとずつ変化させたりして。他者に見られるために変化する、というきっかけはちょっと不純な気もするけど、結果としていろんなことを楽しめるようになったから、何かと腰が重めな自分にはちょうどいい考え方だった。

 

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 いま、おれが関心を持っている人たちは、定期的におれの予想を超えるトピックをもたらしてくれている。

 

 別におおげさなもんじゃないよ。好きなミュージシャンが、素敵な新曲を出してくれたとき。チャンネル登録しているYouTuberが、おもしろい動画をアップしてくれたとき。友達が旅行先とかで、何かおみやげを買っていてくれたとき。好きな人が、髪型を変えたとき。そんなひとつひとつの出来事に、心を動かされて、これからも推してみようかなって気分にさせられてしまう。もしかしたら、誰かとかかわりを持ち続ける理由って、そんな予想外がもたらされたときの感動にあるのかも。

 

 そして何より、おれは自分自身の、まだ知らない面を見てみたい。まだ出せていない能力を引き出してみたい。まだ見ていない景色を見に行きたい。それが達せられるかはわからないけど、出来なかったら日々がつまらなくなってしまうからね。きっとまだ当分は、何か自分の糧になるようなパーツを探しながら、生きていくのだろう。

 

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昨日よりましな飯が食えたなら

今日はいい日だったと 空を見上げて 笑い飛ばしてやる

 

ガラスのブルース / BUMP OF CHICKEN