夏の終わり

 

「今年の猛暑日の日数が、過去最多を記録しました!」

 

 テレビに映るアナウンサーが興奮ぎみに、今年の異常な暑さをアピールしている。よく晴れた夏休みの昼前、もう今年の猛暑日の打ち止めが近いことに思いを馳せる。

 

 気がついてみれば、今年の夏は興奮の連続で幕を開けたものだ。去年から取り組んでいる”LIFE LIFE LIFE”というZINEの4作目が完成し、3つのバンドと自分ひとりの弾き語りがそれぞれライブ本番を迎え、何人もの知人に会いに行った3泊4日の関西旅行まで、立て続けに大きなイベントがあった。

 

 どれも春頃から準備をかさねていて、それぞれ異なる質の充実感を味わうこととなった。ねらい通りだった点もあれば、あいにく不首尾に終わった点もあり、そのすべてが今となってはいとおしい思い出の1ページだ。ときどきを彩った出来事のひとつひとつを思い出し、つい口元が少しほどけてしまう。

 

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 つぎつぎとやってきた興奮と余韻に身を任せているうちに、どうやら夏は折り返し地点を迎えていたようだ。冒頭の場面は関西旅行から帰ってきた翌日のこと。汗をかくごとに着替えを重ねた4日間の洗濯物は膨大なもので、物干しには2回に分けて洗濯したシャツたちが列をなしていた。きっと次に洗濯機を回す頃には猛暑もやわらぎ、無遠慮にシャツを替えることも減っているのだろう。

 

 洗濯物を干し終えてソファに腰かけ逡巡する。ああ、これまで自分がやりたかったことにひとまず決着がついてしまった。こないだまでせっせと準備していた対象はもう過去のものとなり、日々のルーティンであるジョギングやご飯の準備が後回しになることもなくなった。なんだか、自分の背骨が引き抜かれたような気分だ。目標を見据えて背筋をピンと伸ばして物事に取り組み、ときには時間をひねり出してはだらっと休む…。そんなメリハリある日々が終わってしまうと何をしようにも力が入らなくて、そもそも力を入れるべき対象がどれかすらわからない。

 

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 夏の終わりは往々として寂寥感とともに描かれることが多いように見える。こと自分の感覚としても、高揚よりもせつなさやさびしさが先に立つことばかりだ。

 

 その背景にあるものは、気温が下がり日照時間が徐々に短くなることで気持ちが落ちつきやすくなる要因や、学校や仕事などのあまりポジティブに受け取れない義務が再開することへの拒否感が大きいと思っていた。自分のあり方は変わらないのに、置かれた気候と生活に気分を乱高下させられてしまうような。しかし、今年はこれに加えて「楽しみにしていた目標の消失」という要素をつよく感じる。

 

 なにかイベントごとに参加するとしても、いい景色を求めてどこかへ出かけるにしても、はたまた会いたい人に会いに行くとしても、まずは「今年の夏はどうしようか?」と何ヶ月も前から考え始める。そして、資金を貯めたり予定を調整したりと、少しずつ上がる気温とともに気持ちと準備を積み上げていく。とりたてて何もしない夏であっても、それはそれで「今年は静かな夏が待っているぞ」と意識することだろう。

 

 春に浮かんだ夢想はまばゆい光芒を放ち、じわじわと上がる気温とともに夏までの日々をキラキラと輝かせていた。夏のことを思い始めたときから、すでに夏は始まっていたのだ。

 

 そして、万感の思いで迎えた夏のひとときは、さらさらと夜闇にさらわれていった。

 

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 気がつくとテレビでは違う番組が流れている。どうやらうたた寝をしてしまったらしい。

 

 あらためて部屋を見渡してみる。ああ、こんなところにホコリが積もっているじゃないか。そういえば楽しみに追われて部屋の掃除が出来ていなかったな。乱雑に置いてしまった旅行先でのパンフレットの下には、しおりを挟んだきりの読みかけの本が横たわっている。この本の続きも、今からだったら読む時間が作れそうだ。なんなら読むにふさわしい落ち着いた気候だってついてくる。

 

 さあ、次は実りの秋だ。