忘年会~新年会ツアー 22/23

 子どもの頃、年末の風物詩といえば父のあいさつ回りに同行することだった。

 

 父は勤め先のカレンダーをクルマに積み、何軒かの知り合いのうちへ自分を連れて行ってくれた。訪ねる知り合いがどういう間柄か熱心に教えてくれたけど、今となってはあまり覚えていない。うっすら思い出せるのは、父と母が新婚の頃に暮らしていたアパートの大家さんのところ。広々とした庭で餅つきをしていたっけ。なんで覚えているのかと言えば、そこのうちはお年玉をくれたからね。

 

 先々で父の説明を要するくらいだから、ふだんの交流はそう多くないうちばかりだったと思う。自分にとっては知らない人と親しげに話す父を見て、「どうして全然会わないような人と、こんなにも楽しそうに話ができるんだろう?」といった、戸惑いに近い感覚を覚えている。

 

 あれからおそらく20年くらいが経って、去年から今年にかけての自分は同じような営みをしていた。あいにくカレンダーを用意している職場ではないので、何か手土産を携えつつ、あくせくといろんな人に会いに行った。中にはおととしの暮れのあいさつぶりに会う人や、それ以上に会ってない人もゴロゴロいたけれど、その誰もに自分は会いたかったし、わずかな時間を気にしながらいろんな話をした。そして別れ際には、「2023年はもっと会おうね」なんて口約束をして、その実現可能性を高めることを思いながら笑顔で手を振った。

 

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 2022年から2023年にかけての年末年始は、ありがたいことにびっちりと誰かと会う予定に恵まれた。移動範囲も一都四県におよび、自分のなかで「忘年会~新年会ツアー22/23」と題して、その忙しさを楽しんでいた。

 

 目の前に好意を持っている人が代わる代わる現れる日々はまことに愉快だったけど、それゆえにひとつひとつの会に思いを馳せる時間が全然たりなかった。そういった状態を心苦しく思う自分を見つめると、何年か前と違うスタンスになっていることに気づく。

 

 もともと、予定が詰まっていることは苦にならない性分で、むしろ空白の時間を作りたがらないフシまであった。けれども、オトナの友達はそんなにたくさん構ってくれない。予定を立ててから実際に会うまでに時間がかかる間柄も増えて、そうなるとひとつひとつの会にかける思いが大きくなった。会う相手と何をするか、どんなご飯を食べるか、時間をかけて話し合ったり、会った後も写真を送りあったり、教えてくれたあれこれをインプットしてみたりして、有形無形に一度の顔合わせを密度の濃いものにして楽しむようになった。

 

 この年末年始に会った人たちも、回数の多寡はあるにしてもこれまで一緒に過ごした時間の密度が濃い人ばかりだ。だから、バタバタと時間が過ぎてしまったのはちょっと残念だった。それでもなお、ひとつひとつの時間は確かに充実したものだったけどね。

 

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 ひさびさの再会もうれしかった。

 

 とあるライブハウスの忘年会イベントを訪ねたとき、出演者で数年前によく顔を合わせていた人と出くわした。あいさつをすると気さくに話かけてくれて、結局ライブハウスから打ち上げの会場へ移動するまで、積もりに積もった話に花が咲いた。

 

 交流があった頃もそれなりに話はしたけれど、どちらかと言えばその人は寡黙な印象が残っていたものだから、久々に話をするのはいささか緊張した。そんなことを、かれのバンドメンバーに話したら「あの人は親しいと思った人としか会話しないからね。あなたと話したかったんじゃない?」と言われた。

 

 ああそうか、かれもどこかで自分のことを待っててくれたんだな。

 

 人と人の間には、絶えずいろんな事情があって、まあまた会うだろうなんて軽く考えていても、あれよあれよと時間が経ってしまうこともある。それこそ、年をいくつか越してしまうくらいに。でも、一度抱いた親しさを忘れずにいてくれている人がいて、こうして再会を喜んでくれる。自分だってそうだ。過去に暖かい思い出がある人を思い出すと、いまでも胸がいっぱいになる。だからこうして、あくせくとツアーをまわったのだ。

 

 いや、なにも暖かい思い出ばかりではなかったかも。

 

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 日々濃密にかかわるような人とは、緊張感が漂う時間が流れることもあった。

 

 もう2年近く一緒に仕事をしている同僚さんと、今年はふたりで忘年会をしてきた。場所は狭いカウンター席の炉端焼き屋さん。目の前で焼かれる大きな魚や野菜を見ながら、肩を並べてひたすらはしゃいでいた。

 

 仕事以外の時間でも楽しく過ごせる関係でいられるのは、そうめったにあることではない。毎日8時間・週5日も顔を合わせる仕事の場では、意見のすれ違いや期待外れの出来事、体調の波なんかにも影響されて、お互いにいら立ってしまうこともあった。思い出せるのは一日中楽しくおしゃべりしたことばかりだけど、丸一日口をきかない日だって確かに存在したのだ。

 

 ネガティブな感情を抱くことがあったのに、それでもお互いに好意的な感情を持ち直せた状態は、どこかで関係性の構築を諦めなかった意思があったのだろう。実家の家族にしても、長い付き合いの友達にしても、過去にヒリヒリとした感情を抱いた瞬間と記憶はそこかしこに存在する。それでも、意思を持って関係を修復した経験は代えがたいもので、暖かくて、愛おしい。

 

 何か記憶に残る出来事があったとき、その記憶を能動的に消すことはできない。ある事実が厳然として存在して、その認識が移ろうだけである。どこかで傷つけあった人たちとも、なんとか対話を重ねてみたり、時間が経つのを待ってみたりして、どうにか年末年始の祝祭感を共有するところまで行きつくことができた。

 

 いろいろあった人たちと笑顔で乾杯するたび、よくぞここまでたどり着いたと思うばかり。2023年は、なるだけ穏やかにやっていこうね。

 

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 年末年始って、大きなターミナル駅みたいだ。

 

 日々いろんな人が思い思いに疾走していて、自分のすぐ近くを一緒に走っている人もいれば、山の向こうを走っていてお互いの姿が見えないような人もいる。でも、どこからともなく線路が収束していって、忘年会駅とか新年会駅で一緒に休憩する。そして元気よく、それぞれの線路を走り出していく。勢いよくカーブしていく姿を消す人もいれば、自分のすぐ横を走る人だっている。

 

 等しく、どうかご安全にね。

 

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 優しさも厳しさも、期待も失望も、会える期間も会えない期間も内包して、自分は周囲の人のことを愛している。そして自分の周りには、同じような感覚の人がいくらかはいるようにも感じた。

 

 年末年始の空気感に身を任せて、いつもより暖かい気持ちが表に出やすい状態で誰かに会えるのは、自分にとっては貴重なチャンスだった。日常には攻撃性をかきたたせる要因がたくさんあって、自分はそういったものに負けっぱなしな2022年だったものでね。情けないものだ。いつでもお正月みたいな顔して過ごしていけたらいいけれど、まあそうも言ってらんない。せめて仲のいい人とは、笑いながら過ごせるようにしていきたいな。

 

 ハッピーニューイヤー!

 2023年もよろしくね。