いいわけさがし

Is this love? This is love! キミに会いたいな

理由がなくちゃ すぐ会えないなら 何か考えなきゃ

 

Ladybird girl / the pillows

 

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 会うために理由が必要かどうかって、人間関係の距離感において大きな単位だと思う。

 

 仮に、東京と札幌くらい離れていたって、何か理由があれば飛んで行くだろうし、逆に自分んちから近所のコンビニなんて徒歩5分だけど、理由がないと行くことはない。これを書いている今はお盆休みなんだけど、みんな往復ン万円もかけて新幹線だのヒコーキだのに乗って、実家で暇だ暇だなんてTwitterやらストーリーズなんかに書き込んでいるけど、帰省という理由があればこそ、「まあ、たまにはのんびりするのもいいよね」なんて言ってのけてしまう。同県に実家があるおれは、3時間しか帰省する予定ないけど。

 

 ことに、仲のいい人の引っ越しとか退職とか人事異動とかの報がセンチメンタルな感情をもたらすのは、今後は会うことに理由が必要になるからではないだろうか。別に、今日と明日で居場所が変わったところで、その人に抱く好意は変わらない。ふと、過去に1年以上にわたって日常的に会話を交わした人たちの顔を、脳内でつらつらーっとスライドショーさせてみたんだけど、その誰もと今もうまくやっていける自信がある。ていうか、もう一回日常を共有出来たら楽しいだろうなって思う。今だったら、アンミカのモノマネとかし合ってたんだろうか。

 

 けれども、今浮かんだ人たちは、過去のあるどこかの時点で、会うのに理由が必要な人になってしまったのだ。もう、適当にそこらをうろちょろしてはくれないのだ。「ああ、この人に会うには、明日からLINE打たなきゃ会えないんよな」なんて距離感への変化が、たまらなく寂しかったんだと思う。

 

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 日常の中で親密さを育むような場面があった一方、手を伸ばして得た出会いが定着しないもどかしさを感じることも、ままある。

 

 何かがきっかけになって遊ぶようになった人がいて、一緒に居て楽しいなあって思うようになる。別に、これが友達だとか、恋人だとか、そういうケチな分類はしないよ。おれたちはいろんな人と知り合って、それぞれに分かち合うものを得るようになる。

 

 けれども、おれたちは忙しい。仕事をして、生活をして、自分を休ませて、いろんな人との関係を大切にするために、いろんな人との関係を管理しなければならなくなった。今度この人と会う時は、どこに何時に集まって何をして…、そもそも何で会うんだっけ?なんてことを、数えきれないくらいこなすようになる。誰かと一緒に暮らすとしても、「心理的に安心できる」とか「愛情がある」とか「信頼できる」といった理由を保つには、相応の努力がいるらしいじゃない?っていうか、こういう要素って同居するしないにかかわらず必要だし。でも、ふとした瞬間に損なわれてしまうし。

 

 別にいいんだよ?どんな形でも仲良しと過ごせる準備はするし、理由がなければ作ればいい。けれど、そんなスタンスで行動した結果、ただ「会いたい」だけでは他者をそばに呼べなくなって、理由がないと会えない状態をますます強化してしまったようにも思う。

 

 歳を重ねるごとに人間関係を狭めることがあるとすれば、そんなコストが払えなくなることが理由のひとつになるんだろうか。

 

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 おそらく、理由もなく誰かと過ごすということは、儚い夢だったんだろう。

 

 けれど、その理由を限りなく小さくすることはできる。「玉子焼きが綺麗に巻けたから」、「雨が降りそうだから」、「なんかいい気分になったから」みたいな、そんな理由で呼びつけられて、新幹線に飛び乗って会いに行ったり、引っ越しを考えるようなこともあるのかもしれない。

 

 ただし、そこに至るには小さい理由を大きく照射するに足る、信頼関係の積み重ねがあってこそだ。「この人が言う理由なら、駆け付けてやろうかな」なんて言える、あるいは言ってくれる関係に寄り添って生きていけたら、サイコーだよね。

 

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 ところで、玉子焼きは甘めが好きです。