そして、日々は続く

 オトナと呼ばれる年齢に入って、それなりに時間が経った。仕事をしてお金を得るということも、余暇に趣味をすることも、親しい人と時間や体験を共有したことも、まあまあ経験してきた。それぞれで、「ああ、こんなにいい日が来るとは思わなかったな」と感動した日もあれば、「こんな目に遭うなんて、生きているとはなんと苦しいことか」と泣いた日もあった。

 

 最高地点も、最低地点ものぞき見て、世の中のからくりと、自分の能力もなんとなくわかってきた。たぶん、こういう感じで人生が進んでいくんだろうなと気づいて、もう選べない選択肢のことを想ったりもする。

 

 そして、日々は続く。

 

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 誰かのことを知るとするとき、山の頂を見上げているときの感覚を思い出す。

 

 高い高い山のてっぺんには、決まって大きな雲がかかっていて、その形は絶えず姿を変える。あるときは尾根の左側が見えて、少し目を離すと右側、そして山頂は隠れると九合目がはっきり見えたりして、全貌を視認することはなかなかできない。

 

 誰を知ろうとするときもそうだ。笑っているときも、浮かない表情をしているときも、その誰彼は同じ人。ときには、同じ人物について愛おしくなったり憤ったりもする。誰かの全貌が分かる瞬間など、そうそうあるものではない。

 

 山も人も、待つことすら忘れるくらい、ぼんやりと時間をかけて眺めていると、あるときフッと遮るものがなくなって、すべてが見える瞬間がある。「ああ、そうだ。この姿が見れて全部つながった」と納得して、思わず笑ってしまうようなね。

 

 そして、日々は続く。

 

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 おれは、自分が感じたことを素直に信じることが苦手だ。

 

 自分が感じたことを、そっくりそのまま信じて動ける人が羨ましい。その瞬発力があったら、きっともっと遠くまで行けたと思うんだけどな。うじうじと考え込んで、立ち止まった時間のことを考える。

 

 でもまあ、仕方あるめえ。何をしたいか、何をすべきか、何が好きか、何を捨てるか、そういうことについて、たくさんの言葉を使って自分を説得するしかなかった。自分で話がつけられさえすれば、よっこらせと歩みを始めることができるからね。

 

 そして、日々は続く。

 

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 ああ、これからも日々は続いていくんだなと思うのは、それまでついて回っていた課題には決着がついた瞬間だ。おれは晴れて自由の身になるわけだけど、その後も変わらず時間は流れていく。RPGではラスボスを倒したらストーリーが終わるけど、人生にはまた朝がやってくるのだ。

 

 けれどまあ、おれは何かを解決するために生きているのではない。フリーハンドの状態を楽しんで、しばらくはプラプラと過ごそうじゃないか。どうせおれのことだ、また何か悩みたいことを見つけてくるのだろう。

 

 これまで、おれはおれなりに、数えきれないほどの課題を解決し、持ち物を捨て、人の背中を見送ってきた。きっと、おれのなかにその残像がいまも息づいていて、ときどき頭のなかに浮かんでは消えていく。そんな事象を忘れたくなくて、再びこのエッセイ集に記録することにした。

 

 またひとつ、たくさんの文章を書くという課題を解決したけれど、それとは関係なしに明日がやって来る。少し余力ができた自分は、今度こそ何もしない時間を楽しめるんだろうか。

 

 そして、日々は続く。