ウソではないこと、ホントのこと

最近、「あなたのパートナーってどんな人?」という質問をする機会が、何回か続いた。

別に、「仲良しの大切な人についてあれこれ詮索して、ほっこりエピソードにホコホコしようキャンペーン」みたいなものを展開していたわけではない。たまたま、そういう話題になることが続いて、むしろ自分でも「おれ、めっちゃ下世話じゃない?」などと、そわそわしてしまっているくらいだ。まあ毎回、しっかりホコホコさせていただいているが。

話の流れとはいえ、人ひとりについて「どんな人?」なんて問いは、あまりに漠然としているものだ。ましてや、長きにわたって思いを馳せている人について、ほんの数秒でその中身を語れるわけがない。とりあえず、「え~w」なんて言いながら、本当にとりあえずな答えが返ってくる。いやまあ、よく聞かれることだろうし、それはそれで練られた答えなんだろうけども。

というのも、そんな話があるとみんな、後から別の答えをこぼしてくれるのだ。その話題が過ぎ去ってから、何十分、何時間、あるいは次に会った時だったり。話題はとっくに他のことに移っているのに、ふと、「あの人は、こういうとこあるんだよねえ」なんて口走ったりして。

なんだか、そんな一言こそ、真に迫っていることのように感じる。だってさ、その一言は問いに対する回答として、半ば義務的に用意された答えじゃなくて、当人が言いたくなったから話していることなんだもの。もしかすると、先の問いがどこかにひっかかって、別の話をしながら意識していたりしたのかね。

本当のことを言葉にするには、時間の力も必要なんだろうな。



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「あなたは、こちらが欲しい言葉をかけてくれるよね」

こんなことを言われると、うれしさもあるのだけど、すこし胸がキュッとなる。人の顔色をうかがうのに必死だった頃は、我が意を得たり!なんて純粋に思えたのだけど。

自分は、誰かに何か言葉をかけたり、会話に応答するとき、基本的に思ったことをそのまま話している。。。うわっウソくさいな。もちろん、話したくないことは流してみたり、ごまかしたりもすることもある。けれど、そんなん理由がなければやらない。自分なりに、素直で誠実に応答をした結果、それが相手の欲しい言葉になってるだけなのだ。

それがどうだろう、自分の思う通りに話しているだけなのに、まるで相手に親切に寄り添っているような雰囲気じゃないの。いやまあ、そうしたい気持ちはあるけど、あくまで自分は自分でいるつもりなんだってば。

みんなが本当の答えを漏らすのに時間がかかるなら、自分もまた、本当の答えはとっさに出せていないはずなんだよね。十分な検討材料がないまま同調した応答について、「あれはなんだか、本意じゃなかったな」って反省することもある。

おれが会話で示しているのは、ウソの答えではない。けれども、本当の答えでもないことばかりだ。

そして、本当の答えが見つかったとき、その問いをくれた人に声が届くとは、限らないのだ。



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言葉にするということは、安心するという要素がある。

自分がこうして文章を書くのも、自分が考えていることを言葉によって整理して、自分を安心させるためだ。そして、それが出来る瞬間は実に気まぐれだ。いつでも必要なときに、自分の思いを言語化できたらいいんだけどね。あいにく、そんなに器用ではない。

そして、周囲の人に何か答えを求めるのも、きっと言葉の力で安心したいからだ。「ああ、この人はこんな風に思っていたのか」なんて、即時的に納得して安心したい。わからないことって、こわいのだ。

でもさ、それで得られた答えって本物じゃないことが多いんだろうね。本当の答えが出るタイミングは、その本人しか決めようがない。ってか、本人もいつそんな瞬間が来るかわからない。そしておれは、ウソではないけど、本当でもない一言すら、欲しがってしまう。

自分の声も、誰かの声も、引き出すのではない。

ただ湧き起こってくるその瞬間を、そっと掬い上げるだけなんだ。



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多くの場合、人が見せる姿は時々により変化する。置かれている状況、その時々の体調、そして目の前にしている人が誰か。そんなもので、周りの人々が天使に悪魔にも見えてくる。

人の起伏を目の当たりにするのは、結構エネルギーを使う。だからせめて、自分はいつでもフラットな状態でいられたら…なんて嘆いたりもした。だけど、今ではそうも思わないな。必要な時は落ち着いていたいけど、そうでなければ自由に自分でいたい。晴れた日ははしゃいで、どんよりした空模様の日は落ち込んでいたい。付き合いのあるひとりひとりに、愛憎まみれてみたい。

自分が人や物事へ抱く思いは、日々の起伏の中で磨かれて、ふとある時に「ああ、こういうところが自分にとって大切なんだな」って表出する。そういったものを、どうか見逃さないで過ごしていたい。

周りの人も、どうか好き勝手に感情に振り回されて、笑って泣いて生きていてほしいなんて思っている。そして、日々見せる表情から染み出る人格を、どうか見つめていきたいんだよ。