不安を飼ってどこまでも

心なんて一生不安さ

 

syrup16g / 生活

 

 ***

 

 初めて不安という感情を抱いたのは、いつのことだったかねえ。

 

 少なくとも、恋愛感情よりは先だったのは間違いない。もしかしたら、怒るという感情よりも早くに知っていたのかも。ひらがなや九九を覚えたのと同じ頃だっただろうか。たどれる限りの記憶のそこここに、おれの心には不安がついてまわっていた。しかも、ひらがなや九九と同じくらいの重さで。

 

 われながら、不安を見つけるのがまことに上手な人間だったと思う。体育の授業を翌日に控えた寝る前のひととき、友達数人と遊んで輪に入れなかったとき、受験勉強でなかなか点が伸びなかったとき、とくに予定もない穏やかな休みの日の午後を過ごすとき…。そんな場面のひとつひとつで、おれはしっかりと落ち込んだ気分になっていた。

 

 不安が身近なものだったからといって、それが心地よかったわけではない。むしろ、なるべくなら穏やかな気分でいたかった。不安を溶かしてくれるような音楽や物語を探し、不安を取り除くための方法をたくさん試した。よく食べ、よく動き、よく眠り、何かに没頭する時間を手放さなかった。それでも、何かの拍子で不安のさざ波がひたひたと近寄ってきて、やがて大波になっておれをのみ込んでいく。

 

 ***

 

 あるとき、もうこれ以上ないってくらい、毎日が幸せに思えた時期があった。

 

 異動をきっかけに仕事が一気に楽しくなり、趣味のバンドにかんする活動も順調そのもの。ほどよい距離感の恋人もいて、どこを切っても楽しい予定が待っていた。

 

 けれども、そんな時期でも不安はいなくなってくれない。自分を取り巻くあらゆる物事は有限で、いま感じている完全な状態も、ひとつずつ終わりを迎えていくんだろうと、しっかり不安になっていた。

 

 やがて時間が経って、今では当時幸せを感じていた物事はなくなったり形を変えたりして、もうあの頃と同じ状態に、おれはいない。不安がもたらした不吉な予感が当たったのか、ネガティブな自己暗示が引き寄せた結果だったのか、はたまた何も関係ないのかはわからない。

 

 ひとつだけ確信できたのは、おれは不安から解放されることはないということだった。

 

***

 

 いまでも、おれは日々元気に不安を感じている。

 

 仕事の進捗に、クレジットカードの明細に、返ってこないLINEに、数年後の自分の姿に…。いろんな対象を思い出しては、がたがたと胸を震わせ、ソファーに横たわってスマホを握りしめて、動けなくなるような時間がある。

 

 けれども、そんな時間があるのは仕方がないことなのだ。三大欲求と並ぶというか、ご飯食べて、オナニーして、眠くなって、不安になる。自分にとっては、そのくらいありふれた営みなのだ。きっと、これからどんな未来が待っていても、自分はせっせと何かを見つけて不安がっているだろう。

 

 そのかわり、自分のしなやかさみたいなものも、いろんな場面で見つけてきた。不安はついてまわるけど、それが大きくなりすぎて本当に自分をつぶしてしまうような状況には、今のところ陥っていない。そうなる前に、しかるべき場所に駆け込んだり、場合によっては逃げる選択もしてきた。できてきた。不安はいなくならないけど、どこかでポジティブでいられる要素も常に居合わせているのだ。

 

 また、不安な気持ちは常にあるとしても、その対象はその時々の自分の関心事に向けられる。つまり、自分で選べるらしいことも知った。常に自分のなかを不安な気持ちが渦巻いていて、何かの出来事を見つけては、そこへ不安な気持ちが流れこむ。そんなイメージだ。

 

 ならば、おれは自分が不安がりたい物事で、気持ちをやきもきさせられるように制御することにした。不安な気持ちはしんどいけれど、解消するためにたくさんのエネルギーを向けることができる。無知ゆえの不安からたくさんの知識を得たことがあり、愛ゆえの不安から好きな人へたくさんの行動ができたことがある。これって、なかなか効率のいい再生可能エネルギーじゃない?

 

 そういえばこのエッセイ集も、不安な気持ちが書かせてくれたのかも。