ひとりデート

 デートをするのが好きだ。

 

 好きな人と前もって予定を立てて、どこか心ときめく場所へ出かける。身につけるものも丁寧に準備して、ふだんよりちょっとスマートな雰囲気をまとう。食事は高価である必要はないけど、多少こだわる必要はある。だって、そこをこだわるのが楽しいんだもんね。作り置きやファストフードで済ませてもいい栄養補給を、楽しい休日のランチに化かす舞台装置だ。考えれば考えるだけわくわくした時間を過ごせるなんて、なんて素晴らしいことだろう。

 

 あまりに素晴らしいので、ひとりでデートじみた行程を組んで出かけることもある。

 

 (なんか流れ変わったな)

 

 まあ冒頭に一息でデートの魅力を語ったわけだけど、あいにく年がら年中、好きな人とお出かけできるわけではない。会える日程やその内容によっては、家とかでのんびり過ごすこともあるし、目的地まで一目散に往復しておしまいということもある。好きな人と一緒に過ごすのなら、別に内容なんてなんでもいいのだ。デートはカップルが一緒に過ごすときにおける、ひとつの類型にすぎない。

 

 けれども、デートの定義にあてはまるような外出の仕方は、それはそれとしてかなり好きだ。恋愛感情を抱いている誰かとの外出においてのみ適用するなんてもったいない。関係性にもよるけど、お互いによければ友達ともデートのような内容で出かけるし、勢いあまってひとりでも開催するのだ。

 

 こないだ出かけたひとりデートを振り返ってみる。

 

 その日はまず、お昼の11時半から渋谷で「裸足で鳴らしてみせろ」という映画を観る。駅には早めに着いたけど、ちょっと珍しい行き先の電車が来るようだったので待ってみる。こういう行動は連れ合いがいると説得できる自信がないのでやらない。それでも時間的には余裕をもって到着。

 

 映画を観終わって余韻に浸りながら感想を語る。だけど相手がいないので、口頭ではなくてフリック入力スマホにバタバタと入力していく。共有できる目的があったからこそふたりはつながれたけど、目的が失われたときにふたり揃って次にフェーズに行けなかったのだ。同じ速さで歩いていけたら。直己にとっての成長とは、あのラストにたどり着くことだったのか…。などとひとりで考えたあと、Filmarksのレビューをざっと読む。「アンテロープキャニオンに固執する理由が不明確」という文章を読んで、「いやいやあれは…」と反論する。ひとりで。まるで誰かと一緒に来ているような気分で。

 

 そのあと、「プアン/友だちと呼ばせて」チケットを買う。今日は映画館のハシゴなのだ。まあこういうデートをするかと言われたちょっと微妙だけど、かといって自分が映画好きというわけでもない。たまたま観たい映画が同日に観れるから、映画好きな連れ合いがいるような気分で過ごすことにしたのだ。気合いの入った外出をしたくなったら、無理やりデートという名目をつけてしまおう。

 

 まだ上映まで時間があるので、ドトールでひと休み。ひとりデートで大切なのは、連れ合いがいるような気分でちゃんと休憩をはさむこと。もともと外出するときに休憩を抜きがちな自分にとって、きちんと身体をいたわるという行程も特別感がある。本当は穴場のカフェを開拓したかったけど、あまりの暑さと人の多さに断念。

 

 「プアン~」が終わった頃には、外はすっかり夕暮れ時。内容もさることながら、風光明媚な数々のロケ地と、主人公の顔が好みだったのでパンフレットを購入。余韻にひたりながら改札を抜けていく。デートが終わるのはちょっと寂しいけれど、誰かと別れて帰る寂しさはないのは救い。まあ、誰かと1日一緒に過ごしたあとの、その人の不在を思う帰り道もオツなんだけどね。