Stream of consciousness

楽器の練習をしていると、しょっちゅう難しくて演奏できないフレーズと出会う。
 
とくにギターを弾くときは、いつだってもどかしい。1時間くらい同じフレーズを弾いても同じところで引っかかって、それが何日も続くこともある。
 
やがて、そのフレーズを相手にするのを諦めて、曲のほかの部分だったり、まったく違う曲だったりを練習しだす。時間が許せば、ギター自体を一旦置いたりする。
 
それから何日かして、何の気なしにギターを手に取ると、練習していたフレーズがするすると弾けたりする。あんなに練習してたのに。ひさびさにギターに触ったのに。
 
きっと、自分の意識のそとで、静かな成長があったのだろう。ひとまず、そうでもないと説明がつかない出来事に、遭遇することがある。
 
 
 
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「他人に期待しない」という考え方がある。
 
何かの拍子に他人に傷つけられたことがあって、もうこんな目にあいたくない、他人の言動に安らぎを奪われる自分を変えたい…。そういうことをインターネッツ検索エンジンに求めると、だいたい「他人に期待するのをやめましょう」という答えが返ってくる。
 
本屋さんに行けば、そういう話題の書籍が山積みになっているし、親しいひとに相談すれば、「まあ…、しょせん他人の行いは変えられないからねえ」と、やんわり捉え方の問題になったこともある。
 
だからと言って、「じゃあ今日から他人には期待しないぞ。もう傷つかないぞ。」などと、切り替えることも出来なかった。まあ、そりゃそうよね。自分の行動パターンを全部ひっくり返してしまいかねないんだもの。他人に期待して物事を進め、それで素晴らしい経験をしたこともあれば、それによって浴びせられた冷や水を、甘んじて噛みしめていたこともある。おれは、周りのひとに期待したかったのだ。
 
そう思うと、まったく意識を変えられなかった。ずるずると他人に期待し続けて、胸につっかえを抱えながら過ごす日々が続くのであった。
 
 
 
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それから何年かしたあるとき、他人への期待が幾分薄まっていることを感じた。
 
とくに、自分の他人に対する行動は変容していない。他人の存在を念頭に置いてとる行動は、変わらず自分のいくらかを占めていた。むしろ、ひとへ好意を伝える行動も、なにか不満を伝える行動も、その中身は少しずつテクニカルになっているとおもう。
 
 
けれども、何かを他人にしたあと、ふと、自分のなかでつぶやくようになった。
 
「これは自分がやりたくてやってること。」
 
「喜んでくれたらうれしいけど、別にリアクションがなくてもいいかな。」
 
「この怒りはおそらく伝わっていない。だけど、おれは怒りたかったのだ。」
 
 
たぶん、これが自分なりの、他人への期待からの脱却なのだと気がつく。
 
きっと、おれは他人に何かをすることを、やめたくなかったんだとおもう。そして、それは他人への期待と不可分なものだと思っていた。
 
いまとなっては、自分が他人にするあれこれは、一種の祈りのようなものになった。領域展開でも出来るんじゃないかってくらいの念と技術をつぎ込むけど、そこに相手の思いが返ってくることを、もはや考えていない。行動や思いが残り、期待だけが切り離れることが増えた。
 
こういったことは、さっきの「他人への期待をしない」というお題目から離れて、日々を過ごしているなかで気がついたことだ。それでいて、自分が体得したかった考え方そのものに見える。
 
もしかしたら、自分の意識のそとで、静かに蠢いていた思考なのかも。
 
 
 
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着たい服を着たい。
 
食べたいものを食べたい。
 
素敵なひとを愛してみたい。
 
けれど、それらがどこにあるかわからない。
 
 
こういったことを思うとき、ひとまずは、がむしゃらに目的に向かって努力をするのだろう。情報を集めてみたり、お金が必要なら用意をして、タイミングが合わなければ静かに待ち、その先でハズレを引いたりもする。
 
やがて疲れてしまい、目的を諦めることもある。高嶺の花を諦めて、野べりの花を愛でてみたり、いっそ違うものに目移りしてみたりもする。時間が経てば、自分が求めていたものを忘れてしまったり、別の豊かさを享受したりする。ああ、これでいいのかもなって安堵して。
 
 
そんなときに、過去に自分が求めていたものが、不意に現れたりするのだ。
 
きっと、自分の意識のそとで、静かに成長していたことが、確かにあったのだとおもう。一度諦めたことであっても、どこかで熱心に求めたことは脳裏を離れず、来たるべきタイミングをじりじりと待っていた。そして、何かの出会いの拍子に、パッと実を結ぶことがあるのだろう。
 
 
いつだって、いろんな物事や考え方に興味を持っていたい。何かを欲しがっていたい。
 
たとえそれが、すぐに盛り上がることがなくても、着実に自分のなかに根を張っていて、やがて花開いた経験を、おれはいくらかしてきた気がする。
 
 
きっとまた、そんな日が来るだろう。
 
たいした期待はしないけど、
ずっとずっと、種をまいていく。
 
 
 
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この世にはいくら考えてもわからない、
 
でも、長く生きることで解かってくる事がたくさんあると思う。
 
 
スナフキンの名言集より