イルミネーション

 母はガーデニングが好きだった。

 

 実家の通りに面したところには、いつも色とりどりの草花が飾られていて、父も休みの日には、ふたりでさまざまな園芸仕事に精を出していた。

 

 自分が小学生の頃、自宅の庭にイルミネーションで飾り付けをするのが、テレビとかでちょっとしたブームになった。夕方6時台のニュースの特集で、おおよそ個人宅とは思えないような規模のイルミネーションがある場所が取り上げられては、リポーターが半ば引き気味で家の主に話を聞いていたことを覚えている。

 

 そういったことに影響されてか、ある日「ウチもイルミネーションやるよ!」と両親が宣言した。実家ではこういう話はすぐに進む。両親はあっという間に材料を買いそろえ、プランターやウッドフェンスに、電球がついた線を巡らせて、毎晩家の前に色とりどりの光が灯るようになった。

 

 とても綺麗だった。自分もきょうだいたちも、最初はすごいすごいともてはやしたし、近所の人も褒めてくれた。両親はそんな反応をニコニコと受け取って、うれしそうにしていた。それから毎年、陽が短くなりきる頃にイルミネーションを飾る習慣ができた。

 

 やがて年を重ねるごとに、毎年のイルミネーションは当たり前のことになって、自分もあまり大げさに反応しなくなってしまった。近所の人からの評判も、少なくなっていったと思う。それでも、両親はせっせと庭を飾り付けては「今年も出したよ~」と、夕食のときとかにニコニコと話してきたりした。

 

 

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 自分が何か興味のあることに手を出すとき、どうにも両親のバイタリティーに励まされることがある。行きたいと思った場所や、興味を持った物事について、手をつける決心さえ固まればすぐに動き出す。そして、自分なりに目的を果たしたら、それでニコニコしていられる。うん、自分もよくやることだ。

 

 手作り感がただよう完成度でも、周囲の人からのささやかな賛辞と、自己満足があればそれでいい。そのあとも、作り上げたものを定期的に呼び起こしては、自分の楽しみとして眺めてみる。庭に毎年飾られるイルミネーションをそんな風に捉えると、なんだかとても尊い行いに思える。誰のためでもない、自分のために灯をともすような行いは、きっと何物にも代えがたい。

 

 

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 もし、両親がイルミネーションを初めて完成させた頃にSNSがあったら、どうなっていたんだろう。そこでも得られる、いくらかの反応を喜んだんだろうか。どこからもいいね!がもらえなかったとしても、次の年も続けたのだろうか。

 

 そして、いま自分は、誰からのいいね!をわきに置いて、自分にとって価値を見出せる物事について、しっかりと暖めていられてるだろうか。

 

 

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