定時退勤

 

 窓の外に見える建物の影が長く伸び、最後に淹れたコーヒーを飲み切る頃。少し遠くの席から「お先に失礼しま~す」という声が届いてくる。今日も無事、勤務時間の終わりを迎えたようだ。

 

 あいにくおれは仕事の進め方が達者ではなく、まだ帰るには区切りがよくない。ここで止めると明日は重い腰を上げるところから再開しなければならないし、そのくせすぐに終わっちゃって次の仕事に気持ちよく着手できない光景が浮かぶ。あと20分だし勢いで終わらせちゃおう。なんて考えながら少し居残って帰る日が多い。毎日きっちり定時退勤といかないけれど、2時間も3時間も残業をする日はほとんどない。というか、しないようになってしまった。

 

 いまから数年前…、ちょうどすっぽり20代の頃だろうか。おれは残業をして帰りが遅くなることにまったく抵抗がなかった。当時は自分の能力に自信が無くて、どこかから非難されないよう時間をかけて仕事をする傾向にあった。幾重にもチェックを重ね、ついでに見栄えなんかもよくしちゃったりして。そんな工程を重ねることに安心感を得ていたのであった。こんだけ時間をかけた…つまりベストを尽くしたのだから、何かあっても自分の力が及ばなかったのだろうって言いやすくするためと言うか。

 

 いまは残業するとしたら単純に仕事量が多い時だけだ。いつしか同じ仕事を続けるうちにひとかどの自信がついたようにも思うし、とやかく言われそうな部分を事前に回避する仕事のしかたも分かってきた。けれど、最大の理由は退勤後に使える元気な時間が少しずつ減っていることに気づいたからだ。

 

 ちょっと前までは、職場に残る人がまばらになる頃に退勤しても、疲れ切っていた日なんてほとんどなかった。残業帰りに本屋さんで閉店まで立ち読みをしたり、日付が変わろうかという頃にジムに行ったり…、おそらく布団のなかで眠りにつく瞬間まで一日を満喫できていたのだ。そのうえ、そんな時間の使い方がずっと続くように思っていた。

 

 ところがまあ自分はしっかり歳を重ねているようで、一日のうちで元気度に波が出るようになった。夜まで細かい仕事を続けているとボーッとしてしまい、単純な作業をするのが精いっぱいになる。それでいて部屋に帰っても、長時間のドラマを観たり新しい本を読み解くのすら難しい。というか、そういったものに手を伸ばす気力が湧いてこなくて、ついつい何度もみた動画やSNSをボーッと眺めてしまうことが多くなった。

 

 なんてことを自覚したら、すっかり貴重になってしまった元気な時間を仕事に割くのが惜しくなってきた。体力があるうちにそそくさと帰宅して、仕事以外に関心があることにもきちんと取り組みたい。感性が精彩を放っている状態で何か新しいものにふれたり、ジョギングやコーヒーを楽しみながらいろんなことに考えをめぐらせたいのだ。真昼間に仕事の書類がスラスラと頭に入ってくるとき、この感覚で小説読みたい!映画観たい!と歯ぎしりをするくらい。

 

 一日の過ごし方を考えるとき、羊羹のようにどこを切っても均等に甘く感じられるような感覚は、どうやら過去のものになってしまったらしい。いつの間にやらスイカの端っこのような味気ない部分が、日々の中に存在するようになった。毎日変わるその日その日の味わいは、できれば仕事以外でもかみしめたい。さあさあ情けは無用です。今日も元気にお先します!