本音

 

 周囲にいる人が何かを抱え込んでいるとき、どんな行動を取ればその人の助けになるのだろうか。

 

 なんだか道徳の教科書に載ってそうな問いだわねえ。

 道徳の教科書って学校を卒業してから読んでないのだけど、ひとつひとつの問いにたいする模範解答は用意されてなかったよね。教室でそれぞれに意見を出し合って話し合いましょう、みたいな展開になっていたと思う。

 

 おそらく多くの意見は「悩みを聞いてあげる」みたいなものになっていくんだと思う。抱え込んでいる状態というのは、言いたいことが言えてない状態にあるということ。だから、悩みを話せる場を作ることが当人の救いになるという想像になるのだろう。あるいは、どこかの本やテレビで見かけた「悩みを話すことで解決につながった」といったストーリーをなぞっているのかもしれない。

 

 まあどうだろう。他にもさまざまな意見が出ていって、議論が進むにつれ教室内にある多数の意見に収束していくのだろう。そして、模範解答はわからないけどみんなで選んだ答えだから正しいのだろうと考えたりする光景が浮かぶ。

 

 ここで、教室の片隅に「自分だったら別の行動を取る」という意見を発言できない人がいたとする。自分の考えをみんな分かってくれるだろうか。もしかしたらしらけてしまうかもしれない。きっと自分の考えは、この場が求めているものではないのだろう。そんなふうに逡巡して、少なくともその場では意見を言うことを控える選択をしてしまう。そして、授業が終わる頃にはすべて忘れちゃってたりね。

 

 えてして、本音なるものは取り扱いがむずかしい。

 

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 おれは人に悩みを聞いてもらうことが得意ではない。

 

 そんなね、悩みを聞いてもらうのにウマヘタがあってたまるかって話だし、別に漫才師よろしく流れるような話術でペラペラと悩みが話せることが理想とも思わない。ましてや、相手の涙を誘うようなせつせつとした悩みの告白をしたいわけでもない。どんなに親密に思っている人に悩みを打ち明けたとて、それで身が軽くなった経験があまりないのだ。

 

 はじめは、自分が共感より解決を求めがちな性格なので、何かの懸念の根本にあるものが解消しない限り、荷が軽くのを感じにくいからかと思っていた。けれど、問題の渦中にあって解決が望めない状態でも、ふと前向きになれた瞬間を迎えたことだってあるのだ。それがどんな瞬間か思い出すならば、自分の中から湧いてきた言葉によって何かを納得できたときだった。

 

 そりゃまあ、誰かに悩みを聞いてもらっているときに自分が語る言葉だって、れっきとした自分の考えだ。だけども、そこには(ときの会話で求められている範囲での)というカッコがつく。答えが見つかってもつい相手の反応を考えてしまって発言を引っ込めたり、相手が求めていそうな答えを差し出しては「あの一言は自分の真意ではなかったな」と反芻することになる。まあ、それも悩みを検討する一過程ではあるのだけど、どうにもノイズのように感じるほうが勝ってしまう。

 

 自分の中から出てくる言葉とは、ひとりでうんうんと同じことを考え続けて、整理しようと紙にまとめてみたり、あるいは気分転換にジョギングに出たりゲームをしたり、そんな行いのうちに降りてくるひらめきによるものだ。あとから見てみれば、そのひらめきの中身はひどく平凡なものだったり、過去に誰かから言われたことだったりもする。しかし、考えつく限りにさまざまな方向からスポットライトを当てて、条理も不条理も包括して納得できるような答えは、自分で出さないと気が済まないらしいのだ。

 

 ともすると、おれが欲しているのは会話において発生する不確定な要素も含めて、相手と同じ波長で物事を考えられる状況かもしれない。そういう意味では、おれが苦手とするのは悩みを話すことというより、誰かと波長を共有して物事を考えることと言えそうだ。実際、ひとりで考えるときはあっちこっちへと思考が飛躍しているわけだし、そうしないと落ち着かないくらい思いつめがちなクセもあるもんで。

 

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 何かを抱え込んでいる人に出くわしたときにどうするか。答えを今考えるならば、当人が一番すっきりと過ごせる環境を作ると答えるだろう。

 

 もし抱えていることを聞くのが助けになるなら、きっと話を聞くだろう。そのタイミングはすぐそのときかもしれないし、ちょっと落ち着いた頃に「考えはまとまったかい」と答えを迎えに行くこともあるかもしれない。抱えていることから少しでも解放されることを望むなら当人の気が紛れることをするだろうし、逆にとことん考えたいなら膝をつきあわせて議論することもあるかもしれない。

 

 いずれにしても、胸のうちにあるものの扱い方は人によって違いすぎて、そう画一的に扱うべきものではなかったらしい。まずは悩みよりも当人がどんな場を望むか、じっと読み解きたいのだ。

 

 そのくらい、本音と遭遇するのは難しい。