無難を振り切るとき

人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ。

何が起きても、誰のせいにもできないからね。

 

耳をすませば」 雫の父のセリフより

 

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 学生の頃、恋愛相談はいの一番に盛り上がる話題だった。

 

 「好きな子が出来たんだけどさ」

 「誕生日は何をあげようかな」

 「恋人が最近そっけないの」

 

 なんてなんて。

 いろんな人が、仲良しの幸せを願って、あるいはおもしろがって、さまざまな意見を交わす。そのなかには、「こうした方がいい!」という指示的なアドバイスも多かった。

 そんなん当人でもないのに、アテになるのかいなと訝しりつつも、いろんな人が揉んでくれた考えにしたがって恋愛をすることが、安心感につながっていた面もあったんだろうなあとも思う。そういえば、周囲の助言に従って、ひとつひとつ着実にステップを踏んでいた人は、みんな多くの人から幸せに映るような家庭を築いているように見えるなあ。

 

 一方で、毎度「そんな人、やめた方がいいって!」という意見に耳を貸さず、ただ自分の気持ちを貫く人もいた。恋人に貸したお金が返ってこなくても、すぐに浮気をされてしまっても、泣きながらまた会いに行くような、そんな人。今でも付き合いがある友達の中にも、思い当たる顔がある。昔と相手こそ変わったけど、手間のかかるパートナーと出会って、たまに会うと壮絶な愚痴をぶつけてくれる。そして、話の合間にふと、こんなことを言っていた。

 

 「わたしって結局さ、好きな人のことで苦労したいのかも」

 

***

 

 日々飛び交うアドバイスのいくらかは、無難な未来にたどり着くための客観的意見なのかなと思う。

 

 恋愛や仕事での苦労がツラい時に投げかけられる「やめてもいいと思うよ」とか、世間的な常識とは違うことをしているときの「普通にしなよ」とか、そういったアドバイスが生まれる時って、無難な未来を享受するようにすれば、そんな無駄なストレスを抱えることもないのなあという、ある種の親切心が根底にある。

 

 けれども、他の人だったら無難に処理するような事象について、どうしても割り切りがつかなくて、あえて真っ向からその難しさに立ち向かうことって、よくあることなんじゃないか。誰も気づかないような細かい仕事にこだわり、自分に何かしてくれるわけでもない人を想い、風変わりな服を好きなように着て、触れたいものすべてに手を伸ばすこと、ありますよね?おれはよくあるんだけど。

 

 もちろん、こういったことが行き過ぎて、自分を苦しめてしまうことも脳裏に浮かぶ。自分が納得できない状態になったときに、その対象をいつでも切れるという担保も、本当はあった方がよいのだけど…。そのうえで、自分にしか出来ない選択に身を任せられたら、サイコーに幸せだと思う。

 

 どうか、内なる衝動を昇華させるだけの愛と体力を、いつまでも持っていられたらと思う。

 

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