正しくあるとは贅沢なのか

 

 大きな駅ビルや商業施設に行くとき、あなたはとあるテナントに足を踏み入れる。

 清潔で広々とした店内にはさまざまなデザインの服が並べられている。よく見かけるような無地のTシャツやスラックスはもちろん、ビッグシルエットやバンドカラーといった一癖あるけど流行しているものや、ゲームのキャラクターや有名なデザイナーとコラボしたものまで展開している。そして、そのすべてが想定の7割~8割くらいの金額で買うことができる。

 

 こんな光景を想像するとき、あなたはどんなブランドを思い浮かべただろうか。きっと、あなたが想像する以外にも同じようなブランドはあることだろう。いわゆる、ファストファッションとくくられる分野は、もうすっかり多くの人々の消費生活の一部として確立している。多くの人が季節の変わるごとに、あるいは肌着や靴下などが消耗したときに訪れては、「あら!こんなオシャな服があるなんて!しかもこんなお値段で!」と、想定外な出会いを楽しむ。

 

 おれもファストファッションの店に行くのは大好きだ。行くごとに変わるラインナップを眺めるのはわくわくするし、金額の心配をすることが少ないのも気分がラクだ。今だって900円そこそこで買ったTシャツを着ながらこの文章を打っている。

 

 部屋着として使っている1,000円前後のTシャツとハーフパンツに身を包んで、110円で買ったコップでお茶を飲みながら、無料のニュースサイトを読んでいたあるとき、とあるファストファッションのブランドが製造国で労働者に不当な扱いをしていたというニュースが入ってきた。また別の日には国内の店舗で従業員にハラスメントを働いたブランドがあると報道があり、また別の時には差別的なメッセージを内包したCMを打ったり…。

 

 そんな報に触れると残念な気持ちになるし、もし自分が過去にお金を払ったことがあるブランドならいかばかりかの自省をする。そして、事件への抗議の意として不買することも考える。自分が着ている服が誰かが搾取されたうえに作られていたり、お店で対応してくれた店員さんがイヤな思いをしていたり、差別的なメッセージを発する企業の売り上げに自分の払ったお金が入ったり、そういった事象から離れたい。少しでも抗議の意を表したいと思う。

 

 しかし、それがとても難しい行動であることに、はたと気づいてしまう。問題があるブランドと同じ品質と価格帯を実現してくれるブランドが、他に見当たらないことがある。もし他の製品に乗り換えるとしたら、品質か価格帯か、あるいはもっと他の要素か、どこかに妥協点を見つければならない。言い換えれば、自分が今まで享受していたものを正当に受け取るには、どこかでもっと何かしらの労力を払わなければならなかったのだと突き付けられる。

 

 どうしようかなあ。

 名のあるブランドが何か事件を起こしては、のらりくらりと謝罪こそすれど、なんだかんだ生き残っているさまをずーっと見ている感覚がある。そして、そのたびに自分は消費者としてどうするか答えを探していては、なかなか行動に移せていない。不買が出来るときはするくらいで。

 

 一応現時点での答えとして、どこかで見かけた「物事を利用することと批判することは別」という考え方を意識することがある。楽しい時間の友達に注意をすること、好きなアーティストの作品についてあれこれ言うこと、国の制度について恩恵を預かりながら疑問を呈すること、そういったことにつなげて考えるのである。けれど、批判することを行動に移すのは難しいし、その有効性もわからない。会う人会う人にネガキャンするのも、何かの出来事についての抗議を企業に送るのもピンと来ないし、あまり気分がよくなるものでもない。

 

 やはりポジティブな展開としては、誠実に企業活動をしているブランドを日々探してお金を使っていくことになるんだろうか。これは購入時に支払う金額が大きくなるだけでなく、そのブランドに行きつくまでに情報のアンテナを高く張る労力も必要だ。いずれにしても、自分が思うかたちで経済を回していくためにコストを払うことは、なんだかとても贅沢な行いに思える。お財布にも心にも余裕がないとできない、尊い行い。

 

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 ここまで書いてみても、問題のない組織とだけ付き合っていく難しさの途方のなさに気が遠くなってしまう。というか、日本で生きているだけで日本政府と付き合っていくわけだけど、その時点でクリアが難しい課題なのだ。ははは。

 

 ふと自分が気にかけている人々を思い出す。もしかしたら、自分が親しくしている人が勤め先の抱える問題に心を痛めながら、生活のために働いているかもしれない。好きなミュージシャンが、創作活動を展開させた先で手を組んだ企業が実際ろくでもなかったようなこともあったと思う。

 

 そのくらい、悪魔は息をひそめてその辺に存在して、無垢な人を盾にして暴れまわっているのだろう。