日本バンザイって言いたいのだが

 今になって振り返ると、つい最近まで日本という国のあらゆる面について追認するような考え方をしていたものだ。

 

 小学生の頃から日本史の知識を集めるのが好きで、歴史上の人物のマンガにはじまり、中世~戦国期の武家家系図歴史小説まで読むような子どもだった。そんな知識を携えて、歴史上のさまざまな出来事に思いをはせたり、同じく歴史好きな友達と語り合うのが好きだった。

 

 先人たちが通ってきた道を知ることで、なんだか世間のことをたくさん知ったよう気がしていた。多くの人の思考と苦労によってたどり着いた現代は、おおよそ完全なものになっているのだろう。あるいは、いまも残る理不尽はどうしようもないものであって、割り切って生きていくしかないとまで考えていた。

 

 大学で法律学の勉強に興味を示せたのも、すでにあるものへの疑いのなさからだろうか。がっちりと築かれた既存の秩序を信じていて、複雑極まりない法制度のひとつひとつに意味があり、また正しいものだと信じてやまなかった。もっとも、当時はテスト範囲の法律の知識を追うことに必死で、それが適当なものかどうか考える余裕がなかったのかもだけど…。

 

 ***

 

 もしかすると、日本という社会はまだまだよくなる余地があるし、むしろ問題だらけだと思うようになったのは、仕事をしだして数年経った頃だろうか。

 

 就活の頃から考えていた長時間労働ブラック企業の問題は、元をたどれは高度経済成長期から続く労働モデルに端を発するもの。昭和の時代には、それに見合った賃金もあって成立したけれど、今はすっかり崩壊している。そもそも、その陰で専業主婦業を押し付けられた層も存在したわけだし。

 

 少子化問題もそうだ。「このまま子どもが減ったら日本人がいなくなる」なんてセンセーショナルな言い草で、育児のコストを個人に払わそうとしている。日本国家という社会のためのことなら、もっと社会として支援してしかるべきなのに。「若者の草食化が~」なんてのを問題にするより、「この子にきょうだいがいたらと思うけど、お金がないからねえ」という親に支援すればいいのに。

 

 そして、自分も当事者であるLGBTの人権についても問題だらけ。自分はゲイであることで秘密をひとつ抱え、同性の誰かと一緒に部屋を借りたりとか、入院したときに面倒を見てもらうときには、かなりの苦労を強いられる。そして、しょっちゅう国の中枢にいる人たちから存在を否定されるようなことを言われる。おれは日本という国を愛しているのに。

 

 こういった、個人に振りかかるひとつひとつの理不尽は、本当にどうしようもないものなんだろうか。

 

 ***

 

 「みんなのためなら仕方ない」

 ほとほと、魔法のようなフレーズだと思う。

 

 自分が理不尽をこらえることに理由がつくなら、時間も、労力も、お金も、なんなら命まで差し出す人もいる。「社会に貢献するため」という名目に思考停止して、周りの人とパパっと団結できるのも悪くないかもしれない。「わたしが信じる社会を疑うなんて!お前も一緒に理不尽を受け入れろ!」なんて、余裕で言いかねない。

 

 けれど、社会はおれたちが差し出すものを受け取って、いったいどれだけのことをしてくれるだろう。「One for All, All for One」なんて言葉を刷り込んでくるくせに、集団はひとりにたいして、どれだけのことをしてくれるのだろう。

 

 まあ現実的には、その場に居場所があるだけで、十分な見返りなのかもしれない。多少高い税金を払って還元されてる感がなくても、どこかでお金が使われていないと大きな混乱に見舞われるのかもしれない(しれないしれないって、全然そう思ってないのだから自信を持って書けないのだ)。それにしたって、自分にとって選びようのないことを否定されたり、選びたくもない選択肢を選ばされることが、社会にとって必要なことだと思えないのだ。

 

 ***

 

 とはいえ、日本という国への愛着は尽きないのよね。

 

 いまでも日本史にまつわる話はつい聞きたくなるし、日の丸の国旗を見ると親しさをおぼえる。先人たちが残してくれた文化や資源のおかげで、こうした日々を送れているのは揺るぎのない事実だ。

 

 けれども、過去に考えられた物事は、そのときどきのベストを尽くしたものであって、今を生きる人々にとってのベストではない。しなくてもいい苦労があるならば、令和の世に置いていけばいいのだ。

 

 社会が、ないしは日本が大きく変わる事があったとしても、そこに人がいれば別の社会なり日本が成り立つだけ。ていうか、今ある理不尽を降ろしたら滅んでしまうような、やわな国じゃないよね、日本?そう信じるためにも、ジワジワとみんなでしたたかになっていかなきゃね。

 

 「これは置いていってもいい理不尽よね」なんて話、いろんな人としてみたいな。