イニシェリン島の精霊

 

 気が弱くてお人よし、ちょっとお調子者な面を持ちつつ周囲の人を愛して暮らす人がいたとする。きっと、自分の周囲にいたら好意的な印象を持つだろうし、長い付き合いになることを願ったりもするかもしれない。もっと言えば、自分自身が憧れる人間性のひとつのようにも思う。

 

 これは、2022年に公開された映画「イニシェリン島の精霊」の主人公、パードリックについて自分が思う人物像である。アイルランドの小さな孤島が舞台となっているこの作品で、パードリックは全員が顔見知りのこの島で暮らす人物として登場する。家畜の世話をしながら妹と暮らし、一日の仕事を終えたあとに親友のパルムと飲むビールを楽しみに日々を暮らす。かれの生活はそれだけで満たされていて、そんな生活がずっと続くと思っていた。

 

 しかし、ある日パードリックはパルムから突然絶縁を告げられる。パルムは毎日パブでパードリックの話に付き合うことが、じつは苦痛であったことを打ち明ける。日々に変化がないパードリックの話は単調でつまらなかったのだ。そして、残りの人生のすべてを作曲に費やしたいとパードリックに告げるのであった。

 

 パルムの唐突な申し出について、パードリックは動揺し受け入れることが出来なかった。何度もパルムの家のドアを叩き、パブでパルムを待ち続けたこともあった。そんなパードリックの行動にパルムはより態度を硬化させるばかり。困り果てたパードリックは妹であるシボーンに相談するも、シボーンもまた退屈な島での暮らしに耐えかねて、アイルランド本土へ移り住むことを決心していたのであった。

 

 ざっと話すとこういったストーリーであった。

 作中で描かれるパードリックはたしかに話題に乏しい人物で、パルムに家畜の糞の話ばかりして辟易されるシーンすらあった。一方でパルムはライフワークとして作曲に励んだり、パブで仲間と演奏することを楽しむなど、音楽につよく関心を寄せる人物として描かれる。シボーンについても、家にある大量の本に没頭する日々を過ごしていた。後者のふたりにとって、島での生活や人間関係だけに身を投じるには耐えられなくて、なにか別の刺激を求め続けていたのだろう。

 

 人間関係において、「どうしてこの人と一緒にいるのだろう」と疑問を抱いたときのことを思い出してみる。会話が続かなくなったり、おもしろいと思えることが一致しなかったり、ひとりで過ごした方が意義を感じられる時間が過ごせると気づいたり…。少なくとも、相手も自分もなにか悪いことをしているでもなく、別の理由で他者が疎ましくなってしまうこともあるのだ。

 

 では、パルムやシボーンはパードリックを疎ましく思っていたのだろうか。

 映画の印象的なシーンのひとつに、傷だらけになってよろよろと歩くパードリックにパルムがそっと肩を貸し、帰路をともにするシーンがあった。このシーンの直前で、パードリックは島の保安官がシボーンの悪口を言っている場面に遭遇し、思わず保安官へ抗議したところ暴行を加えられたのだ。このシーンは親しい人が侮辱されたときに毅然と抗議し報復を受けたパードリックの姿を、パルムは放っておけなかったように読み取れる。パルムの方から絶縁を宣言したあとにもかかわらずだ。

 

 思うに、パードリックから離れることにしたふたりも、パードリックの人間性が疎ましくなったのではないのだろう。かれは自分なりの優しさを胸に周囲の人々を慕っていたが、それだけでは関係を維持する理由にはならない。退屈きわまる島の暮らしは、さらに退屈さを強調させるかれの存在を許容できなかったのだ。

 

 “気が弱くてお人よし、ちょっとお調子者な面を持ちつつ周囲の人を愛して暮らす人”。そんなパードリックのような人物について、いい人だけど退屈なんだよなってネガティブな思いを持ったことを、ついぞ思い出してしまう。あまつさえ、不親切で不誠実な面が目立つのに、他に類を見ないエキセントリックなセンスゆえに惹かれた人だっていたくらいだ。

 

 自分はどうだろう。おれは誰かに誠実にありながら、退屈を振り払う存在になりうるのだろうか。

 そばに居る人にたいして誠実で親切なふるまいをすることは、まだ辛うじてできるように思う。しかし、相手が予想もできないような行動でポジティブな驚きをもたらしたり、日々の平凡な日常から脱するような体験を提供することは、あまりに深遠かつ無謀な課題に思える。意図的に仕組もうとすること自体が傲慢ですらある。

 

 人は退屈しのぎに出会い、退屈しのぎに別れる。

 もしそんな流れが無意識下にプログラムされているとしたら…とても恐ろしく感じる。人間関係は移ろうものだなんて悟ったようなことは言えなくて、好きな人とはずっとかかわっていたいのだ。それが叶わぬ望みならば、せめてもの悪あがきとして用意できる退屈しのぎを全部やり切ってから別れてみたい。そんな行動が周囲の人々にできる愛情表現と信じながら。