それでも行為が好き

 

 今回のエッセイ集もこれで20本目。残すところ10本である。

 

 やる気がわいてきたタイミングでエイヤッサと腰を上げ、パソコンに向かいパタパタとキーボードを打つ。まあいつも軽快に文章が進むわけではないけれど、小一時間も格闘すればひとかどの読み物が出来あがって達成感。ここしばらくはそんなルーティンを楽しんでいる。

 

 いつも掲載する日の何日か前に書き上げているので、出来あがった文章をブログに載せるまでには時間が空く。そうすると、いざブログに載せようとするタイミングで自分の文章の稚拙さに愕然とすることがある。最初に書いた時間より推敲に時間がかかることすらある。そのたびになんちゅうもんを書いてるんやとあきれつつ、結局次に出てくる文章もグチャっとした仕上がりだったりしてね。自分で納得できるような文章はそうそう生み出せないのだ。

 

 ん~、これでもエッセイ的な文章を書き始めて結構長いはずなんだけどな。中学の頃にブログを始めてから、いろんな場所に文章を置いてきた。自分なりの文体みたいなものも得ている感覚もあるし、思いついたらわりにすらすら筆…ならぬキーボードが進むんだけど。それにしてはもうちょっと文章がうまくなってもいいはずなんだがなあ。

 

 そういえば、おれは文章の練習や修行をした経験がない。ずっと思いつくままに好きなことばかり書いてきて、誰かの添削を受けるとか納得できるまで表現方法を試すとか、そういったことをしたことがない。場数はある程度踏んだけど、そのひとつひとつを丁寧に検証していないのだ。きっと、自分が今書ける文章とハッとさせられる文章の世界には壁があって、そこを乗り越えるためには技術を磨く必要があるのだろう。自分の文章をとことん批判的に見つめなおし、反省をかさねてよりよい表現を目指す。そんな修行を乗り越えればもっと自由に文章が書けるかもしれないけれど、それほどの熱量があるわけではない。

 

 ところがどっこい、現におれはこうして文章を書いている。

 けっしていい文章が書けるわけではないと知りつつ、それでも何か書きたい事柄で頭がいっぱいになって、なんとか整理するためにキーボードをパタパタと打つ。そんな時間はいつだって気持ちがいい。そして気づく、おれが求めているのは唸るような名文を世に残すことではなく、キーボードを打って文章を書く行為そのものなのだ。

 

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 思えば、自分が得てきた能力はあくまで素人芸ばかりだ。

 

 料理をするのも、ドラムを叩くのも、自転車でどこか遠くに行くのも、それなりに好きにはなったけど大成はしなかった。どれもどこかに壁があって、ここを乗り越えるには相当の努力がいるぞと思い知らされたポイントがある。もしかすると自分の才能が発揮できるポイントはほかにあるのかもしれないし、今のままでは何物にもならない行為が積みあがっていくだけ。どこかでむなしさに襲われてもおかしくないのにね。

 

 けれどもどうして、おれはスーパーで食材を買い集めて台所に立ち、叩けないフレーズをごまかしながらドラムを叩き、ときどき膝を痛めるのを承知で気ままな自転車旅に出続けている。誰かの歓心を買うでなく、何か成果を残すわけでもなく、過ぎてしまえば飛んで消えるような時間を過ごすことに前のめりだ。

 

 だって、それでも行為が好きだから。