余白がつなぐ仲

 

 Netflixで配信されている「LIGHT HOUSE」という番組の空気感に憧れを抱いている。

 

 星野源若林正恭のふたりが出演するトーク番組。30分ほどの放送時間は終始ふたりのトークで、これまでの過去の話や、現在の創作にたいする思い、さらには街頭インタビューの若者が語る悩みについて、ざっくばらんに展開していく。登場するふたりのトークスキルもさることながら、この番組で注目しているのはその制作方法である。

 

 番組は全6話ですでに完結しており、収録は1ヶ月に1度行われていたそうだ。収録と収録のあいだは時間が空くが、そのあいだにお互いが一行日記と題して日々感じたことを書き残しておいて、いざ収録の場ではそこに記されたフレーズをもとにトークが展開していく。

 

 このゆるやかな収録のペースと一行日記という形式からは、制作サイドがふたりにほどよい余白を提供しようという配慮が感じられる。きっとプロの制作集団がいる以上、がっちりとトークテーマなどを用意したうえで、何本かまとめ撮りすることだってできるはずだ。むしろそのほうが効率的だろうし、力量のあるエンターテイナーであるふたりなら相応に見ごたえがあるトークを繰り広げただろう。

 

 おそらくこの番組のテーマのひとつには、ふたりが与えられた余白の時間に、相手と自分自身にどんな思いを寄せるかを観察するといった点があるように思う。長い収録と収録の合間や、あるいはひさびさに対面した瞬間に、ふたりは相手の不在を思いながらどんな話をしようか考える。詳細が省かれた一行日記のフレーズを一緒に眺めて、そのフレーズの背景にあった思いにふたりでまなざしを向けていく。ふたりの想像と共感にあふれた場がたまらなく心地よくて、制作サイドが収めたかったのはこういった空気感なのではと、まんまと術中にハマっているのだ。

 

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 Netfilixを閉じて現実世界に戻る。

 

 当面のスケジュールを確認して、誰といつ会うとか、会ったらどんなことをするとかを思い出してみる。誰もがしばらく会っていない人ばかりで、一番頻繁に連絡を取っている人でもせいぜい週に1度くらいだ。今のところ仕事以外で濃密に連絡を取る人はいないし、ましてや毎日会うような人もいない。そういった存在を拒んでいるわけではないけれど、積極的に求めているわけでもない。

 

 ああでも、少なくとも余白がない関係はヤダな。過去に、友達グループとかでお互いのスケジュールを共有して予定合わせの手間を省こう!と言われたとき、なんて息がつまることだろうと食い気味に拒んだことがある。メールやメッセージのやり取りですら、即レスよりもなるべく考えてから返したい。親しい人でも知らない部分はなんぼあってもいいですからね。

 

 けっして濃いつながりではない関係ばかり築きながら、自分はみんなことが好きだ。会えなくてもふとしたときに思い出して、そのたびに暖かい気持ちになる。なんて言うとカッコつけだな。なかなか思いがめぐらないときも正直あるけど、ふと久しぶりの人と連絡を取ることがあったなら、その人と過ごした楽しい時間のことを思い出してどこへだって飛んでいくのだ。

 

 そして、自分が思いを寄せた人と顔を合わせられた日には、それぞれが過ごした日々のあれこれを持ち寄るのだ。過ぎていった体験や考えごと、新しく出会った人の話とか…、そんなことに耳を傾けて表情を見つめるうち「そういやこんな人だったな」なんて軽く忘れていた人物像がよみがえったりして、なんなら改めていとおしさが湧いたりしてね。会えなかった時間を抱えた関係では、そんな瞬間すらも楽しいのだ。

 

 好意を持っている人が遠くにいて、当人の不在を想像で補っている人にとって、「LIGHT HOUSE」はそんな余白を抱いた日々を肯定してくれる作品のように思う。作中でこぼれる「星野さん/若林さん、俺のことそんなに知ってたんだ!」なんてニュアンスのつぶやきが、会っていない日々にあったお互いへの思索を歓迎しているよう。もしかしたら自分にしたって、思っているより周囲は自分のことを考えてくれているかもしれない…と、ちょっと希望めいた感情が呼び起こされる。

 

 今度みんなに会ったら、何を話そうかな。

 何を話してくれるのかな。