ドキドキを終えて
誰かを一度好きになってしまうと、いつかこの人とは会えなくなると悟っていた頃があった。
恋愛には終わりがつきもので、終わりは別れと表現される。愛の告白を受け入れられなかったとき、恋愛感情がなくなったとき、誰かは誰かを振るわけで、その先に未来は描かれない。
自分は人を好きになると思い詰めてしまうフシが強くて、相手のことを考えると日常生活が全然手につかなくなる。お互いの気持ちを確認するとか、正式にお付き合いをするためとか、そういう目的ではなく、自分がフラれて楽になりたいがための告白を何回もしてきた。
それでも縁あってお付き合いした人もいたけれど、いろんな事情があってお別れしてきた。そのときも、もうこの人とは今生の別れになるんだろうなと覚悟を決めた。するとなんとまあ、自分から別れを告げたのに、どうか帰りに事故とかに遭わないといいな、風邪ひいたりとかしないといいなって、もう別れを決めたはずの相手のことがいとおしく思えたりした。
けれども、今になってその後のことを振り返ると、どうにも付き合いが消えなかった人ばかりだ。なんのかんので付き合いが復活して、たまにLINEしたり、どこかで一緒にお酒を飲んだりしている。
恋愛感情の終わりは、必ずしも別れではなかった…?
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誰か特定の人を考えると、どうにも気持ちが落ち着かなくなったり、今何をしているんだろうと動向が気になったり、ひどい時には泣いたり、そんな病的な性質を帯びた恋愛感情を抱くことがある。そして、自分が壊れる前に距離を置きたいと、やぶれかぶれな告白をしたりとかして無理やり距離を取る。
けれども、何かのきっかけでその相手とまた会うことがある。共通の友だちの飲み会で会う、SNSで見かけたのがきっかけで連絡を取る、そもそも気にされてなくて普通に遊ぶことになる…。そんなとき、意を決して再会してみると、以前抱いていたような胸のざわめきからは解放されていることがある。前は言えなかった冗談を飛ばせて、トイレに立ち上がるついでに屁をこいたりもできる(実際にはしてませんよ。たぶん…)。
そんな時に思う。ああ、やっとこの人とまた出会え直せたんだ。もう狂騒のような感情はないけれど、穏やかにこの人と関係を築けたらどうなるんだろう…。
恋愛感情の支配から解放されて、ある意味より親密な関係性のスタートを切れるのは、とても幸運なことだ。もちろん、恋愛感情がないことによって、密な関係ではなくなったり、やっぱりマッチしない間柄なのが判明することもある。けれども、そこに以前のようなツラさはない(そういう意味で、再会が別れの始まりとも解せることもあるのだけど)。
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恋愛感情は、一種のステータス異常だ。
誰かを好きという気持ちだけで、普段は出来ないような行動をとり、他者となんとか分かり合おうと懸命に努力することができる。けれど、いつかステータス異常から回復したとき、相手と自分が赤の他人になってしまうのは寂しい話じゃないの。一度は分かり合おうとしたよしみで、どこかで親密さが続くような関係でありたい。別れは必然だけど、遅くすることはできる。縁が続けば、死がふたりを分かつまで。
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そしてやっかいなことに、ステータス異常がずっと続くこともある。