意識の外に逃がす
理解したい物事があるときは、一旦忘れてしまうくらいがいい。
本を読んでいると、いかにスラスラ読めていても、読み終わったあとに書いてあることを全然思い出せないことがある。何かを知った気はするけど、それを自分で語ることはできない。わいてきた感想も、どこか辻褄が合わなかったりする。
それから時間を置いてその本を読み返すと、初めて読んだ時より気づきは段違いに増える。忘れたくなかったことを思い出し、読み飛ばしていた一節と出会いなおす。手間をかけて得た知見は、さまざまな場面でスッと自分のなかから沸き起こってきて、なんだかまたひとつ豊かになれたような気がする。
読み返すための時間や集中力が持てないときは、本に貼ったふせんとかKindleのメモ機能をたどって、過去の自分がハッとした場面を読み直す。それだけでも、ずいぶんといろんなことを思い出せるものだ。
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表現したい物事があるときは、一旦忘れてしまうくらいがいい。
このエッセイ群は8月中にえっちらおっちら書いているんだけど、ひとつの文章について一度完成だと思っても、何日かしたら追記したいことを思いついている。せっかく何を書こうかうんうん悩むことからも解放されたのに。
けれども、日々暮らしていてもそんなもんだよね。仕事も生活もそれ以外も、せっかく予定立てて過ごしているのに、脳みそは好き勝手な瞬間に物事を思いつく。仕事している最中に晩ご飯のおかずを思いつき、帰宅して台所に向かっている最中に仕事のアイディアが浮かんでくる。なんとも不便なものよ。
それでも、何も思いつかないよりはマシなこと。だから、ふだんから何事もとりあえず手をつけておいて、手が詰まってきたら一旦置いておく。続きは思いついたタイミングに任せて、その瞬間にパパっとメモをとることが多くなった。
自分の脳みそから、好きなタイミングで好きな発想を引き出すことは諦めた。だけどせめて、気まぐれな脳みその働きに合わせて立ち回るくらいは、頑張ってやってもいいかな。
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誰かと仲良くなりたいときは、一旦忘れてしまうくらいがいい。
ときどき、なんとなく好感が持てる人と出会って、トントン拍子に仲が深まることがある。けれども、すぐに誰かがかけがえのない存在になることは少なくて、どこかで起こるすれ違いが失望めいた感情をもたらしたりする。じわじわと仲良くなるにしても、最初はお互いの意識にない瞬間が圧倒的に多いのだろう。
そのようなどこかしらの瞬間で、のちのち仲良くなる人でも一旦意識の外に逃がすことがある。時間が経っても何か心地よい時間への懐かしさを思い出すとしたら、その時はまた交わることもあるのかもしれない。そんな瞬間こそ、取り逃すべきではないんじゃないかな。
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君は僕を忘れるから
そうすればもうすぐに君に会いに行ける
ユニコーン / すばらしい日々