別れ?それがどうした

僕ら最高速でいつだって

走れるわけじゃないんだって

 

いつかは 止まってしまう日が来る

それでも僕は良しとして 靴紐を固く結ぶ 前を見たあの日

 

My Hair is Bad / アフターアワー

 

 ***

 

 いまそばにいる人とは、いつか絶対に別れることになる。

 

 会える状況が失われて別れる。

 

 お互いへの関心が薄れて別れる。

 

 死によって別れる。

 

 そんなことが警告ではなく、れっきとした事実であるということを、歳を重ねるごとに実感する。

 

 自分から親しみを感じられる人がいて、その相手も自分に何か好意を持っていて、かかわりが持てる状況が貴重であることを、身にしみて感じる。あまりに身にしみるもんだから、肩に力が入りすぎてしまって空回ることだってあるよ。そして傷ついて、出会いそのものの価値を疑う。もしかしたら、この人と出会わない方がよかったんじゃないか、とか。どうせ終わってしまう関係なのだから、軽々しく扱ってやろうじゃないか、なんて。

 

 けれども、だ。

 出会いがいつか別れに化けるからといって、人と出会い、うまくやっていくことを放棄する理由にはならない。

 

 学生の頃は、卒業までの時間は明確に決まっていて、その先で離ればなれになってしまうことも、みんなうっすら分かっていた。それでも、みんな惜しげもなく(あるいはほどほどに惜しげつつ)、周囲の人を慕って慕われて、濃密な人間関係を温めながら過ごしていた。

 

 オトナになってみたら、時限的な人間関係の終期とは少し距離が置けた。しかし、それが意味していたのは、無期限の人間関係が始まることではなく、いつ終わるかわからない関係性の増殖だった。なんなら、生きてるのか死んでるのか分からない関係すら、平然と存在しはじめるのであった。

 

 今日一緒に同じ景色を見て、同じ鍋をつついて、同じ朝を待った人と、1年後も同じことが出来るかはわからない。1ヶ月後だってわからない。はたまた、1ヶ月後は出来ないけど、10年後はまた出来ているのかもしれない。もちろん、どの時系列でもその人とは二度と交わらない可能性もある。2本の直線が、たまたま接した点Aにいるだけかもしれない。

 

 それでも、だ。

 おれはそのときどきで遭遇した人にたいして、なんとか親切でありたいと思う。話をしたいと思う。甘えられそうな人になら、傲慢にだってなりたいと思う。

 

 別に、何か理由をつけて論理的に人との出会いを称賛したいわけではない。どちらかと言えば、仕事がある日以外は部屋にこもって鉄道模型ジオラマでも組んでいたいと思っていた時期もある。人とかかわるのって、疲れるよなって、若くして達観(笑)していた頃に。

 

 だけど、今となってみれば、自分にそれは無理な相談だった。あとで傷つくことがうっすら見えていても、あまり濃い関係にならないと予感しながらも、つい誰かとのかかわりを求め、それを守ることを楽しみ、または必死になってしまうのであった。めっちゃ疲れるのにね。

 

 ならば、どうしようもなく人とのかかわりを求める衝動を生かしたまま、それに合わせて自分を制御する方がしっくりきた。疲れすぎないように、あまり傷つきすぎないように、したたかに振る舞うとか。自分からの衝動ばかりでなく、誰かが向けてくれた好意を大切にするとか。

 

 そうした結果、長い関係になればいいなと思うし、あるいは誰かとの関係性をめいっぱい楽しめたと満足するもいい。でも、結果なんて本当にオマケでしかないよ。あくまで、いま目の前にいる人に感じるいとおしさを、むげにしたくないだけ。そのために、予想されるあらゆる別れに中指を立ててやるんだ。

 

 何かがおれたちを別つそのときまで、あなたを愛していきたいのさ。

 

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誰かを愛するということは

失う時の痛みも 引き受けるということだと思う

 

三田 織 / 僕らの食卓(幻冬舎